1995年の衝撃が全ての始まり─宗教と右翼の変遷から見えてくる現代日本の姿


2026年1月号 聞き書きシリーズ ─ 芳秋氏 「宗教同人大納會」代表・教育系コンサルタント

社会との接点と知的好奇心

私が社会というものに強く関心を持つようになった原点は1995年にあります。当時14歳の中学生だった私にとって、1月17日の阪神・淡路大震災は衝撃的な出来事でした。東京も揺れこそ少なかったものの、学校ではすぐに募金活動が始まりました。自分たちの集めたお金が被災地に届くという経験を通じて、初めて学校の外にある「社会」との接点をリアルに感じたのです。

しかし、そのわずか2カ月後の3月20日に地下鉄サリン事件が発生しました。私が住んでいた杉並区の小学校の前でもオウム真理教が選挙演説を行っており、親からは「関わってはいけない」「帰ってこられなくなる」と言われていた不気味な集団が、現実にとんでもない事件を起こしたのです。報道を見れば東大出身者など高学歴のエリートたちが教団の中枢にいる。なぜ彼らのような知的な人々があのような破滅的な方向に進んでしまったのか。子供心に湧いたその疑問が、私の宗教研究の出発点となりました。

同じ頃、街宣車への興味から右翼という存在にも目を向けるようになりました。休日の国道を走る黒塗りの車や特異な外見に対し、世間一般のような嫌悪感よりも「あれは何だろう?」という純粋な好奇心が勝ったのです。書店で関連書籍を探すと鈴木邦男氏や野村秋介氏、見沢知廉氏といった理知的な言葉を持つ活動家がいることを知りました。街宣車に乗っている人々だけでなく、思想的に深く考究している人々がいる。当初は宗教も右翼も数歩離れた場所から観察する対象でしたが、インターネットを通じて詳しい知識を持つ先達と出会い、その深層へと導かれていきました。

自らの手で事実を編む

現在、私は「宗教同人大納會」というサークルを主宰し、コミックマーケットなどで自費出版の研究本を頒布しています。これまでに20冊ほど制作しましたが、活動の根底にあるのは「自分が欲しい教科書がないなら自分で作る」という精神です。例えばPLタワーや神社のガイドブック、あるいは独自に作成した「検定本」など、既存の書籍では満足できない情報を自分の足で調べ、データ化し、少部数でも同じ関心を持つ人々に届けることに意義を感じています。

長年宗教団体を定点観測してきましたが、時代の変化と共にそのあり方も変わってきました。かつて強引な折伏で知られた巨大教団も、現在では2世、3世の時代となり、かつてのような激しさは影を潜めています。むしろ現在は、地域に根ざしたコミュニティとしての機能が強まっています。商店街を盛り上げる活動や引っ越し先での互助組織として機能するなど、社会的なセーフティネットの側面すら帯び始めています。

その一方で、インターネット上の動きには危うさも感じます。かつてのような壺を売る霊感商法とは異なり、現代は「推し活」やゲームの課金に近い心理が見受けられます。「これだけお金をつぎ込んだのだから、何か良いリターンがあるはずだ」「教団から認められたい」という心理です。功徳を積むことと金銭的投資を混同させるようなビジネスモデルが、孤独な個人の心の隙間に入り込んでいるのです。


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