「神ながら、言挙げせぬ、言霊のさき(幸)ほう国」 大和心を学び受け継ぎ実践する


2025年2月号 聞き書きシリーズ ─ 吉村伊平氏 「大和心のつどひ」代表

戦前から続くつどひ

「大和心のつどひ」は、戦前の皇道経済学者、田中仁義博士が大阪高等商業学校(現大阪公立大学)教授時代のゼミ生の集まりがルーツです。その後、一般の人たちも集うようになり、昭和48年にあらためて第1回のつどひが大阪市の住吉大社で開かれます。つどひでは原則的に月1回の月例会で講演会を催し、会員相互の親睦を深めています。月例会では、文化、教育、外交、国防、経済、社会問題など多方面にわたり、学識者や文化人を囲んでタイムリーな講演会、研究会を開いています。また、明治天皇を祀る御陵の京都伏見の桃山御陵参拝団に協賛、明治天皇のお誕生日である11月3日に桃山御陵を参拝しています。

私の先祖は代々この地区(大阪市東住吉区北田辺)の庄屋を務めていました。

早稲田大学では雄弁会に所属しました。政治家志望ではなかったのですが、雄弁会に入るような学生は強がり言っているけど、根は寂しがり屋の弱虫じゃないかと思い、そういう人間と付き合ってみたいと入りました。早稲田雄弁会は、戦前から中野正剛など数多くの国会議員、石橋湛山氏ら5名の総理大臣を輩出しています。早稲田雄弁会には当時、額賀福四郎氏が一つ上で在席していました。当時は学生運動が盛んな時期で、右から左と学生が様々に活動していました。中でも三島由紀夫先生の「盾の会」の第2代学生部長で三島先生と共に割腹自決した森田必勝(まさかつ)さんとは同期で1度お会いしたことがあります。

学生時代に、人間は何のために生きているのか。悩み、落ち込んでいました。そんな時に出合った塾がありました。神奈川県厚木市にあった幽顕塾は、昭和7年の5・15事件で連座した海軍中尉の林正義氏(熊本県済々黌出身)が昭和12年に開設、次代を担う青年を農作業を通じて指導していました。雄弁会の先輩に紹介されて入塾しました。ひたすら農作業をやり、1年間ほど寝食を共にしました。林先生はいわゆるサムライでしたね。

実はこの時の悩みから脱却できたのは、つい最近のことです。自宅で農作業をやるようになって、人は天命を持って生かされているというシンプルな考え方に行き着きました。

ある日、農作業をやっていてふと、見上げると夕焼け空にポツンと星があって、「あれは私かもしれない」と一瞬思った時に、自然を超えるものはない、自然以下のものもない、根底は一つだと感じました。天から神様が降りてこられて留まる山、木、岩や洞を依り代と言います。私は常に自分が世話になっている五体に感謝して「五体様」と呼んで拝んでいます。いつも感謝の祈りを捧げていたら、我が五体は神様の依り代であると感じるようになりました。幽顕塾での体験が生きていると思います。

世界平和 大平和への道

その祈りの中心におられるのが天皇陛下です。

日本は古来祭政一致の国です。「神ながら、言挙げせぬ、言霊のさき(幸)ほう国」と言われてきました。神ながらとは、理智、分別、情感、情操を超越した上でのあるがままの状態のこと。事挙げせぬとは、殊更取り立てて言うこともなく、根元に向かって逆らわないこと、即ち集約帰一です。言霊のさきほうとは、人間はもちろん草木蓋(けだし)くにいたるまでモノを言い繁栄すること、即ち分散拡大です。


続きは本誌にて…フォーNET読者の会(年間購読ほか会員特典あり)


PAGE TOP