2026年9月号 特別寄稿

桝田和幸氏略歴
兵庫県在住、雅号は梅乃舎。30代。和歌へは16歳の頃より興味を持ち、独学で勉強を始め、万葉調の歌を詠み習う事を常としている。
敷島の道とは和歌を指す美称であるが、そもそも和歌の淵源とは、神典(※1)に見える素戔嗚尊が詠まれた「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」の神詠(※2)に発する。
【歌意】幾重にも雲が立ちのぼる出雲に、妻を迎えるための住まいを造り、その周囲に幾重もの垣を巡らせた。その八重垣のように、妻を守る住まいを造ろう、という趣旨の歌。
ここに於いて三十一文字(※3)の型が始まったとするのが、皇朝(※4)に於ける和歌の起源である。つまり、歌の始まりというのは人の営為の内に生まれた人為ではなく、神代の内に生まれ育まれた天造のものであるという事である。
神詠に始まる和歌を歌集として初めて纏めたものが『萬葉集』であり、国学者(※5)の鹿持雅澄先生は生涯をかけて研究し、後に明治天皇の天覧(※6)を賜った『萬葉集古義』に於いて、「言霊の風雅(※7)、皇神の道義」という言葉で『萬葉集』について述べられており、ここに和歌というものの本質が言い表されている。言葉には霊威の宿るものと考えられており、それは言霊と呼ばれ『萬葉集』所収の歌にも見られる信仰であった。
磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ 柿本人麻呂
【歌意】大和の国は言霊に守られている国である。どうか無事であってほしい。
神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ…(後略) 山上憶良
【歌意】神代から伝えられてきたように、大和の国は神々の厳かな国であり、言霊の力によって栄える国であると語り継いできた。
皇朝は言霊の助くる国、言霊の幸はふ国であると考えられ、故に美しい言葉と調べ(風雅)には自ずからその霊威の発動があると信じられた。そもそも、歌とは訴うの意であり、紀貫之は『古今集』の序に於いて「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」と述べているように、心の内にあるものを外へと表現させるものであった。歌というものは神詠に始まり、神をも感応せしめる働きがあった事は同序文にも認められている。
そして一方の「皇神の道義(※8)」というのは、皇祖神(※9)である天照大御神が天孫降臨(※10)の際に、天孫へ賜った天壌無窮(※11)の神勅であり、天孫より万世無窮の皇統一系、皇朝を永遠に治め給う国体(※12)である。更に付言するならば、侍殿防護(※13)の神勅と神籬磐境(※14)の神勅も国体を構成する重要な神勅であり、これは天孫ではなく天孫降臨に従った神に賜ったものであるが、神代より後には皇民の奉じる神勅と解さねばならない。
侍殿防護の神勅に曰く、
「願はくは、爾二神、また同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることをなせ」
神籬磐境の神勅に曰く、
「吾は則ち天津神籬と天津磐境を起樹てて、まさに吾孫の御為に齋ひ奉らむ。汝、天児屋命、太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国(※15)に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れ」
とある。
侍殿防護の神勅については、天離る鄙(※16)に住む身にあって、九重(※17)の雲深き内に咫尺(※18)する事は難しとするも、ここにあって思い起こされる『萬葉集』の歌は、
海行かば 水浸く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みは せじと言立て ますらをの 清きその名を…(後略) 大伴家持
【歌意】海で死ぬなら水に浸る屍となり、山で死ぬなら草の生い茂る屍となろう。それでも大君のためなら命を惜しまず、その名を汚すことはしないという決意を詠んだ歌。
であり、都を遠く離れた地にあって海に死ぬとも山に死ぬとも、大君の御為に死ぬ時は常に大君の辺にて死ぬ事と萬葉人(※19)は弁えていた。つまり、大君の辺に非ずとも大君の御為に死ぬ時は、それは紛れも無く大君の御側近くに自らがあるとする確信であった。その確信と、そこより来る大なる自信を大伴家持は先の歌に続けて、
剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の御門の守り われをおきて また人はあらじと…(後略)
【歌意】剣を腰に帯び、朝も夕も大君の御門を守る者として、自分以上にその役目を果たす者はいないという誇りと決意を詠んだ歌。
と歌い上げた。これは大君に仕え奉って来た祖先を偲び、また栂(※20)の木の八十継ぎ継ぎ(※21)に継いで来た祖先らの如く、大君の御為に仕え奉る自らの身を誇るものであった。
神籬磐境の神勅については、高天原に於いて神が天孫の為に祀られたように、地上に於いては皇民が千早振る(※22)神に神習って、皇朝の御為に祀る事が神代以来の幽契(※23)であり、皇朝の国体をお支え申し上げる玉鉾の道(※24)であった。
天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴緒は 大君に まつろふものと 定まれる…(後略) 大伴家持
【歌意】天地の始まりの時から、この世に生きる人々は大君に従い仕えるものと定められている、という認識を詠んだ歌。
この歌にも見られるように、神勅によって定まれる皇朝の国体を大いに歌い上げたのが『萬葉集』であり、その国体の「皇神の道義」を明らかにするものは、和歌の「言霊の風雅」であった。
この歌集の特色として一般に評されるには素朴であるとか、大らかであるといったものが見られるが、ここまでの歌で見られたように『萬葉集』以後の勅撰歌集(※25)では賀歌を除けば、見出す事の難しい程の尊王と敬神の意識がみなぎっている事である。単に先述した素朴云々といった見方では、この歌集の大眼目とも言える点を見逃しかねない。
このような見れども飽かず、汲めども尽きぬ民族の信仰の源泉たる古典を、今に於いて伝え、保って来た事は仕合わせであったと言える。
上述したように国体(皇神の道義)を明らかにするものが和歌であったならば、これを単なる徒然(※26)にする、専ら慰みの玩具と看做す(※27)べきではない。
歌を詠むという営為は、歌祖である素戔嗚尊以来の和歌の伝統に連なる営為であって、その歌を通じて中今(※28)の現は神代と通じ、神代以来の祖先と交わるのである。
これについて思い起こされる事は、佐久良東雄(※29)先生の遺言中にある一文である。
「カナラズヽヽヽヾ、学者ニモ詩人ニモ歌ヨミニモ成ント思フ事狂人ノ心也
唯々楠正成尊(※30)ノ如キ忠臣ニナラウト一向一心ニ思慮ベシ思テ修行スベシ」
ここに於いて先生は「歌ヨミ(歌詠み)」にならんとする事は狂人であると記されているが、これは先生が多くの和歌を遺された事からも、先生の詠まれた歌からも意図する所は明白である。
人丸(※31)や 赤人(※32)のごと 言はるとも 歌詠みの名は とらじとぞ思ふ 佐久良東雄
【歌意】柿本人麻呂や山部赤人のような歌の名手だと言われたとしても、自分は「歌詠み」という名を求めるつもりはない、という歌意である。
柿本人麻呂や山辺赤人の如き歌の名手であると言われても、自らは歌人とは名乗らぬとの歌意であるが、これは歌を詠む事を否定したのではなく、言わば職業歌人とでも言うようなものを否定したのである。自らの立身出世の為にする歌ではなく、その技巧の巧拙を意とする事なく、歌は国体を明らかにするものであり、神代に通ずる為の敷島の道であると観じられていたのである。
ここに数首、先生の歌を掲げて何を以て歌とせられたかを見てみたい。 現神わがおほきみは この照らす 日の大神の みことしらずや
【歌意】今この世に現れている大君は、この世を照らす日の大神の御子として御心を受け継ぐ存在ではないか、という趣旨の歌。
くさもきも 吾が大王の ものなりと 深く思へる 人もあらなむ
【歌意】草木を含め、この国のすべてが大君のものであると深く心に刻む人がいてほしい、という願いを詠んだ歌。
命だに をしからなくに をしむべき ものあらめやは きみがためには
【歌意】君のためなら、自分の命さえ惜しくはない。まして、それ以上に惜しむものがあるだろうか、という忠節の心を詠んだ歌。
天皇に つかへまつれと われを生みし 吾がたらちねぞ たふとかりける
【歌意】天皇に仕える者となるよう自分を生み育ててくれた父母こそ、尊い存在であるという思いを詠んだ歌。
事しあらば 吾が大王の 大御為 命死なむと 磨ぎし剣ぞ
【歌意】いざという時には大君のために命を捨てる覚悟で、この剣を磨いてきたという決意を詠んだ歌。
先生の遺された歌は数多あるが、上掲の歌のように国体について詠まれた歌は他にも多くあり、遺言と遺詠とを併せて読む時に、先生の意図せられた事は判然としてくる。先生は歌人たらんとするよりは、皇民たらんとせられたのである。
『萬葉集』にも大伴家持の歌に見られる述志の歌(※33)はあるが、明治の皇政復古(※34)以前の草莽志士(※35)の多くも歌を詠んだ。その歌にも同じく述志の歌があって、ここに於いても歌がどのように観られていたかの一端を見るのである。
自らも萬葉調(※36)の歌を詠み習う事を常としているが、それは荷田春満(※37)先生の『創学校啓』(※38)にある「古語通ぜざれば則ち古義明かならず、古義明かならざれば則ち古学復さず。」を旨として、古語を学び歌を詠む事で、萬葉人の心持ちに日々近付かんとしている。
今や技術の進歩によって自ら学ばざるとも、AIに注文をつければそれらしい歌も作られるが、そこには血の通わぬ文字の羅列があるのみであって、神代に連なる営為とは程遠いものと言わねばならない。自ら学び歌を詠む事によってのみ、和歌の伝統に参入し得られるのである。
歌を学ぶには古典にあたって学ぶ事が肝要であるが、それだけでは歌を詠む心の具わるものではない。遠き近きを問わず旅に出る事も大切な事で、様々な人や景色を見る事である。読書では得られぬ体験を通じて学ぶ事は多い、あしひきの山(※39)とは何か、久方の天(※40)とは何か、皇土(※41)の美しさに触れる事によって大和心(※42)を真澄鏡(※43)と研ぎ澄まし、皇朝は言霊の助くる国と信じて、「言霊の風雅」を尽くして歌を詠み継いで行く事もまた、漂える国を修理固成(※44)するものと励まねばならない。
ゆめゆめ(※45)奇を衒い(※46)、抽象難解の歌を詠むを以て事を得たりとするなかれ。
歌を詠まんとする人は、「言霊の風雅」を尽くして、万世無窮の「皇神の道義」を明らかにせられん事を。
※1 神典:神話・神道に関わる古典。本稿では主として『古事記』『日本書紀』などを指す。
※2 神詠:神が詠んだと伝えられる歌。本稿では、素戔嗚尊が詠んだとされる「八雲立つ」の歌を指す。
※3 三十一文字:五・七・五・七・七の三十一音からなる和歌の形式を指す伝統的な呼称。
※4 皇朝:歴代の天皇によって統治されてきた日本の朝廷・国家を指す、本稿で用いられている表現。
※5 国学者:江戸時代中期以降、古典研究を通じて日本古来の思想・文化・言語などを明らかにしようとした学者。
※6 天覧:天皇が書物・作品などをご覧になること。
※7 言霊の風雅:鹿持雅澄が『萬葉集古義』で用いた表現。本稿では、美しい言葉と調べを備えた和歌に言葉の霊的な力が宿るという考えを表す。
※8 皇神の道義:本稿では、神代から伝えられてきた日本の国のあり方と、それを支える精神的な道を意味する言葉として用いられている。 ※9 皇祖神:皇室の祖先神を指す語。本稿では天照大御神を指す。 ※10 天孫降臨:天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、高天原から地上へ降りたとされる神話上の出来事。
※11 天壌無窮の神勅:「天地とともに永遠に続く」という意味を持つ神勅。天照大御神が天孫に授けたとされる神勅を指す。
※12 国体:国家の基本的なあり方・国の成り立ちを意味する語。本稿では、皇統を中心とする日本の歴史的・精神的な国家のあり方という意味で用いられている。
※13 侍殿防護:天孫降臨に際し、二柱の神に皇孫の住まう宮殿を守護するよう命じたとされる神勅。
※14 神籬磐境:天孫降臨に際し、神を祀る場所を設け、皇孫のために祭祀するよう命じたとされる神勅。
※15 葦原中国:神話において、高天原と黄泉国の間にある地上の世界、日本を指す名称。
※16 天離る鄙:都から遠く離れた地方を意味する古語。「鄙」は中央から離れた土地を指す。
※17 九重:宮中・皇居を指す古い表現。幾重にも門が重なることからこのように呼ばれた。
※18 咫尺:非常に近い距離。また、身近に接することを意味する。 ※19 萬葉人:『萬葉集』に収められた歌を詠んだ古代の人々を指す、本稿での表現。
※20 栂:マツ科の常緑樹。
※21 八十継ぎ継ぎ:幾代にもわたって、次々と受け継いでいくことを表す古語的な表現。
※22 千早振る:神や神々にかかる古典的な枕詞・修辞表現。
※23 幽契:目に見えない、神秘的・精神的な結びつきや契りを意味する語。
※24 玉鉾の道:「玉鉾」は古典和歌に用いられる枕詞的な語。本稿では、神を祀り、皇朝を支える道という意味で用いられている。
※25 勅撰歌集:天皇や上皇の命によって編纂された和歌集。『古今和歌集』をはじめ、二十一代集が知られる。
※26 徒然:することがなく退屈なこと、また、物思いにふけること。本稿では、和歌を単なる個人的な慰みとすることを指している。
※27 看做す:あるものを別のものとして扱う、そう判断するという意味。
※28 中今:神代と現在との間に位置する「今」を意味する神道・国学的な考え方。本稿では、現代に生きる人が神代以来の伝統とつながる時間として捉えられている。
※29 佐久良東雄:幕末から明治期にかけて活動した国学者・歌人。本稿では、その思想と和歌が取り上げられている。
※30 楠正成尊:鎌倉時代末から南北朝時代に活躍した武将・楠木正成。後世、後醍醐天皇に忠節を尽くした人物として知られる。
※31 人丸:柿本人麻呂の通称。
※32 赤人:山部赤人の通称。柿本人麻呂と並ぶ古代の代表的歌人として知られる。
※33 述志の歌:自らの志・信念・決意などを詠んだ歌。
※34 皇政復古:天皇を中心とする政治体制を復興すること。ここでは明治維新による政治体制の転換を指す。
※35 草莽志士:「草莽」は在野・民間の意。幕末から明治維新期には、藩や幕府などの公的立場に属さず、国家や政治の改革を志した人々をこう呼んだ。
※36 萬葉調:『萬葉集』に見られる、素朴で力強い調べや表現を意識して和歌を詠む作風。
※37 荷田春満:江戸時代の国学者。古典研究を通じて古代日本の思想・言語を明らかにしようとした国学の先駆者の一人。
※38 『創学校啓』:荷田春満が古学の必要性を説いた著作。本稿では、古語を学ぶことによって古義を理解し、古学を復興するという考えが引用されている。
※39 あしひきの山:「山」にかかる古典的な枕詞。古代和歌に頻繁に用いられる。
※40 久方の天:「天」などにかかる古典的な枕詞・表現。「久方の」は古代和歌に多く用いられる。
※41 皇土:天皇が治める土地、あるいは日本の国土を指す、本稿で用いられている表現。
※42 大和心:古くから用いられてきた言葉で、国学では日本人固有の精神や感性を指す概念として論じられた。本稿ではその意味で用いられている。
※43 真澄鏡:曇りのない清らかな鏡。古典では、心の清明さや真実を映すものの比喩としても用いられる。
※44 修理固成:「つくり、治め、固め、成す」の意。『古事記』の国生み神話に見える表現で、国土を整え完成させることを意味する。
※45 ゆめゆめ:決して、くれぐれも、という強い禁止・戒めを表す古語。 ※46 奇を衒う:普通とは違う、珍しいことをわざと行って人目を引こうとすること。