拉致問題解決こそ日本という共同体の維持につながる─認定、家族の有無にかかわらず取り返すべき


2025年4月号 そこが聞きたい! インタビュー(アーカイブス 2023年2月号)

スーパーの棚からコメが消え、その後価格の高騰が国民を襲った―昨年8月から「令和の米騒動」が起きている。その後、政府が備蓄米を放出したが、コメ不足の先行きは依然、不透明だ。

荒木和博氏

昭和31年(1956)東京生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒。民社党本部勤務の後、1997年から拓殖大学海外事情研究所専任講師、その後助教授を経て同大海外事情研究所教授。予備役ブルーリボンの会代表。著書に『「希望」作戦発動 北朝鮮拉致被害者を救出せよ』他。

見捨てられた二人

―今年(2023年)で発足20年という節目を迎えましたね。発足の背景から聞かせてください。

荒木 横田めぐみさんの拉致が判明したのは、『現代コリア』という朝鮮半島問題の専門誌に大阪の朝日放送の石高健次プロデューサー(当時)が書いた論文の中で「中学1年生の女の子が北朝鮮に拉致されている」という記事が掲載されたことが発端です。1996年12月にその女の子が横田めぐみさんと特定され、それから本格的な活動が始まりました。翌年の1997年2月3日には西村真悟衆議院議員(当時)が衆院予算委員会で初めてこのことを取り上げました。同時に一部メディアも報道を始めて、世論の関心を呼びました。こうした世論の高まりを受け、1997年3月、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)が結成されました。

この流れの中で拉致被害者を救出するために全国各地に「救う会」が結成され、その集合体として「救う会全国協議会」ができていきました。全国協議会は2000年に組織強化のため事務局体制を整備し、私が初代の事務局長を務めました。その2年後の2002年に小泉訪朝で金正日総書記が拉致を認め、謝罪し、5名の被害者が帰国を果たしました。その中に曽我ひとみさんというそれまで拉致被害者と政府が認識していなかった人が入っていました。これを見た人から「自分の家族もそうではないか」という声がたくさん上がりました。

事務局長として対応、記入してもらった書類(調査票)を収集しました。当時は五名の帰国者の件で大変忙しく、調査票は自宅で家内に入力してもらっていましたが、やがて家内が「これは偶発的な失踪じゃない」と言い始めました。一見、普通の失踪に見えますが、並べて見ると、共通点、規則性が認められます。政府が認定した拉致被害者以外にもたくさんの人が拉致されているのではないか。これを調査し奪還しなければ本当の解決とは言えないのではないかということで、会を立ち上げました。

―五人の帰国以降、2回目の小泉訪朝など事態はさらに少し動きました。しかし、その後はほとんど動かず、目立った動きと言えば、2014年に横田夫妻が孫娘に当たるめぐみさんの娘と面会したくらいで、ほとんど動いていませんね。

荒木 北朝鮮も日本政府も小泉訪朝の20年前の五人の帰国で幕を引きたかったんです。政府は北朝鮮が拉致を認めれば日朝国交を正常化すると約束していました。そこでその後横田めぐみさんは死亡したことにして娘の存在を明らかにして会わせることで終わりにしたかったのだと思います。突然として横田さんだけ娘の情報がポツンと出てきたことからもそのことが窺えます。

―2004年に北朝鮮が国内にいるすべての日本人について調査を行うとしたストックホルム合意では、北朝鮮側から出てきた報告書に少なくとも2人の名前があったそうですね。

荒木 政府認定拉致被害者の田中実さんと、特定失踪者の金田龍光さんです。二人は神戸市の同じ養護学校で育ち、同じラーメン店で働いていました。店主は北朝鮮の工作機関の秘密組織の一員で、田中さんは昭和53年(1978)6月に騙されてウィーン経由で北朝鮮に拉致されました。金田さんは偽装された田中さんからの手紙を読んで翌年にウィーンに向かうため上京し、そのまま行方不明になりました。その二人が北朝鮮にいることが当時の報告書に書かれていました。それはつまり、北朝鮮が2人を返す意思があったということです。

―それならば、なぜ2人は返されなかったのですか?

荒木 政府が報告書を受け取れば北朝鮮のペースになる懸念があるとして受け取らなかったからです。日本政府はこの2人で済まされるのを懸念したのです。

―それにしてもせっかく向こうから拉致したと報告してきたのですから、受取るべきだったのでは?

荒木 2人には表に出てくる家族がいなかったからでしょう。これが仮に横田めぐみさんや有本恵子さんだったら対応は違っていたのではないでしょうか。家族の出てこない2人を事実上見捨てたことになります。

動かない背景

―そもそもこちらで把握している特定失踪者の数は約470名ですが、それに対して政府認定の拉致被害者は17名(5名は帰国)と極端に数が違います。

荒木 政府は認定を増やさない方針です。「増やさない」とは明言できないので、「認定の有無にかかわらず」という枕詞を使っています。つまり、認定の有無にかかわらずやると。

―しかし、現実はこの20年間全く事態は動いていません。

荒木 ストックホルム合意で北朝鮮の報告書を受け取らなかったためにその先に進みようがなくなりました。積極的だった安倍首相(当時)もやる気をなくしてしまい、惰性になってしまいました。「最優先課題」「断腸の思い」という毎回、空疎な言葉が続いています。政府に北朝鮮との特別なルートがあるとは思えませんし、経済的に困った北朝鮮からモーションをかけてくる可能性はありますが、それを受け取る腹がある人がいるかどうか…例えば、「〇人返すからこれでお終いにしろ」と言ってきた時に、そこで無視すれば今までと何ら変わりません。受け入れて、場合によってはお金を出して「まだ、いるだろ?」と圧力をかけてさらに引き出す駆け引きをやるべきです。

―特定失踪者の数が無言の圧力にもなりますね。

荒木 政府でも明らかに拉致被害者であると認められているケースがあります。しかし、これを認定できないのは、おそらく警察の問題です。仮に認定して、なぜ今頃認定なのかと訊かれると答えようがないわけです。「分かりませんでした」とも言えないし、「隠していました」とは当然言えないわけです。そのまま放置して異動していくという先送りが続いてきたのです。

―最終的には全員の救出が目標だと思いますが。

荒木 もちろん全部返せと言うべきなんですが、北朝鮮も全て管理できていないんです。あまりにも時間が経ちすぎていることと、いろんな機関が拉致工作をやっていますから一元管理できていないのが実態です。亡くなった人や、人によっては一般社会で生活している人もいます。あの国がまともな国になるのが一番ですが、それを待っているわけにもいきません。取り返せる人は取り返すしかありません。Aという日本の首相が「これだけ還ってきたのだから、これで幕引きに」と言明しても、次のB首相が「いや、まだ還ってきていない」とやり続けることが肝心です。これまで相手に何度も嘘をつかれているのですから、こちらもそれくらい強かな態度で臨むべきです。

―特定失踪者のご家族とは面談されたのですか?

荒木 大半のご家族からは調査会役員の誰かが聞きとりをしています。把握している失踪者の中で一番古い方は昭和23年に拉致されました。この方は戦後北朝鮮から引き揚げてきたのですが、母親の墓が北朝鮮に残っていてその遺骨を引き揚げるために北に入ったのではないかと推測されます。兄が先に入ってそれを追うように弟も入って二人とも行方不明になりました。お姉さんが申し出られましたが、もうご高齢で今は連絡が取れていません。

―失踪者が多い時期は?

荒木 金正日が金日成の後継者となり、さらに工作機関を掌握したためにその勢いで拉致を加速させた1970年代後半ですが、拉致はその前も後もやっています。北朝鮮にとって拉致するのが当たり前でしない方が異常なんです。北朝鮮の建国は、スターリンから金日成が権力を移譲されたことから始まります。金日成はそれまでわずかな闘争経験しかない人物です。日本統治時代の最高のインフラと、軍隊は中ソが創設したものをそのまま引き継ぎました。つまり、国の重要な部分がすべて借り物で賄えたので、足りなければ外から持って来ればいいという「建国の精神」があります。自分たちでまじめにモノを作ろうという気が全くないというのが、北朝鮮という国なのです。

そのような中で拉致の目的は多岐にわたります。一つは日本人の工作員作りです。海外で工作員が捕まっても「日本人だから知らない」としらを切れます。さらに工作員の日本人化教育のための拉致、印刷技術などを有している日本人の拉致があります。また、結婚のためのものもあります。「背乗り」と言って、拉致した日本人に成りすますために拉致もあります。

―現在も拉致活動は続けられているのでしょうか?


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