2026年5月号 人・紀行 ─ 糸島「お山の樂校」代表・田嶋愛さん

福岡県糸島市二丈の山あいに広がるミカン園。かつては一面の竹林だったその急斜面を登ると、木の香りが漂う平屋の校舎が見えてくる。フリースクール「お山の樂校」。そこには、大人が決めた時間割も、子供を縛る校則もない。校庭では子供たちがサッカーに興じ、傍らでは放し飼いのヤギが草を食み、小屋ではニワトリがのんびりと羽を休めている。眼下には、糸島湾の穏やかな海と、ぽつりと浮かぶ小島がたおやかな風景を湛えている。
スイッチが入った瞬間
代表を務める田嶋愛さん(51)は、かつての自分を「週末を楽しみに漫然と生きていた」と振り返る。歯科衛生士として11年間、福岡市内のクリニックに勤務し、長期休みには旅に出る。そんな平穏な日常を送っていた彼女が、なぜ自ら山を切り拓き、子供たちの居場所を作るに至ったのか。その軌跡は、一人の女性が「わくわく」を羅針盤に、自らの人生と教育の場をクリエイトしていく、静かな、しかし確かな革命の記録でもあった。
福岡市西区、かつてレンコン畑が広がっていた学研都市周辺で育った田嶋さん。彼女の転機は、自主上映映画『107+1〜天国はつくるもの〜』との出会いだった。「動けば変わる」という強烈なメッセージに、心の中でパチリとスイッチが入る音がした。
「自分のワクワクする感覚に従って生きていったら、一体どうなるんだろう」
その問いが、彼女を安定した歯科衛生士の職から連れ出した。思い立ったらすぐに行動するのが彼女の性分だ。看板を手に天神の三越前に立ち、映画の上映を呼びかける街頭活動を始めた。その過程で出会ったのが、マクロビオティックだった。それまで食に無頓着だった田嶋さんは、マクロビオティック料理に感銘を受け、瞬く間に植物性のお菓子作りに没頭していく。
天神・三越前で自作のお菓子を並べ、自分の手で作ったものが誰かの手に渡る喜びに震えた。友人と共にお菓子屋をスタートさせ、中央区の長屋を拠点に、週末の店舗営業や卸しを始めた。本人曰く「遊ぶような感覚」での活動だったが、それは既成のレールを外れ、自分の足で立ち始めた瞬間でもあった。この頃、整体師の男性と結婚する。
お菓子屋としての活動が軌道に乗る中、田嶋さんは運命的な出会いをする。それは人ではなく、城南区にある築年数不明のボロアパートだった。
「漫画『めぞん一刻』に憧れていたんです。変な人たちと共同生活するスタイルをやりたくて」。 家賃は一棟丸ごと借りて10万円。結婚し、長女を身ごもっていた田嶋さんは、仲間と共にこのアパートを大改装することを決める。重いお腹を抱えながら、壁を塗り、床を直し、自らの手で住処を作り変えていく。引っ越したのは、なんと臨月。そして引っ越し直後に長女を出産した。
そこから3年間、お菓子屋、アトリエ、整体院が共存するカオスで愛おしい共同生活が続いた。日々マルシェやライブが開かれ、大人も子供も混ざり合って暮らす。自分の人生を、自分の手で彩る喜び。しかし、その穏やかな日常を揺るがす出来事が起こる。
樂校前夜
2011年、長女が3歳になった頃、東日本大震災が発生した。遠く離れた福岡でも、映像を通じて流れてくる被災地の惨状に、田嶋さんは涙が止まらなくなった。当時、彼女のお腹には次女が宿っていた。
「もし今、すべてが止まったら、この子たちを守り抜けるだろうか。海も食べ物も汚染されるかもしれない。今、もっと土に近い暮らしをさせないと。生きる力を残してあげなければ」
強烈な危機感に背中を押された彼女は、理想の暮らしを絵に描き、周囲に語り始めた。「こんな場所で、こんなことがしたい」。その想いに呼応するように糸島との縁がつながり、2012年、一家は糸島へと移住する。
最初は知人と一軒家をシェアする暮らしだった。しかし、産後半年ほどで大家さんとの認識の違いから急遽退去することに。「当時は戸惑いましたが、振り返るとすべてがベストなタイミングでした」。この予期せぬトラブルさえも、彼女は「よき方向への流れ」として受け止めていく。
次女の出産を控え、長女の預け先を探す中で、田嶋さんは現代教育への違和感に直面した。「教育課程の中で『次は何々しなさい』と言われ続けると、自分の本当の気持ちがちっちゃくなっちゃう気がして」。
そんな時、理想的な関わり方をする元保育士の川口正人さんと出会う。一度は保育園作りを断られたものの、次女の産後、正人さんが突然リストラされるという転機が訪れた。「やりましょう、私が人集めますから」。
田嶋さんのその一言で、2012年、園舎もないまま正人さんの庭にテントを立てるという型破りなスタイルで「わくわく子どもえん」がスタートした。産後すぐの8月に体験会を強行し、10月に開園。長女は園児として通い、田嶋さんは0歳の次女を抱えながら裏方として奔走した。暮らしの中に学びのすべてがあるという信念は次第に共感を呼び、園児は増えていった。
次女が成長し、卒園が近づいた2018年秋。田嶋さんの胸に新たな願いが湧き上がった。「小学校もほしい」。
舞台は、二丈の山あいにあるミカン園。当初は一面の竹林だったが、理解ある地主が重機を出して樂校が始まる前に平地にしてくれた。2019年春、大工の友人と共に自らも手を動かして建てた小さな小屋で、「お山の樂校」は開校した。当初は井戸もなく、タンクに汲んだ水を大事に使い、食器を洗う日々。開校時の生徒は、田嶋さんの次女を含むわずか4人だった。最初の1年はほぼボランティア。その後、少しずつ運営を形にしていった。「1日2500円 から始めて4500円に増額し、開校3年目には少額ですが時給として成り立つようになりました」。
「自分自身」に戻るということ
2022年、子供が15人に増え、小屋が手狭になったことで大きな決断をする。クラウドファンディングを立ち上げた。1300万円という巨額の資金に対し、全国から支援が集まり、現在の新校舎が完成。合同会社に法人化した。
「樂校」では、昨今社会で耳にする「発達障害」などの特性も、輝く才能として扱われる。 「なんなら自分もそうかも、と思う時があります。でも、だからといって『何だ』という話なんです」。
例えば、稲刈りの際、学校のように一斉に同じ作業はしない。飽きっぽい子は次々と役割を変え、一方で「過集中」と呼ばれる特性を持つ子は、驚異的な集中力で延々と稲を切り続ける。ここには「正解」を押し付ける大人がいない。例えば、何かに熱中している子がいたら、たとえそれが予定されていた作業の時間であっても、その没頭を妨げない。効率や生産性よりも、その子が今、何に心を動かされているかを最優先する。