土の匂いと、生きる熱量─わらび座、75年目の「再生」と「祈り」


2026年4月号 人・紀行 ─ 今村晋介さん(46歳) あきた芸術村社長

秋田県仙北市、田園風景の中に突如として現れる「あきた芸術村」。そこには地方劇団という枠組みを超え、日本の演劇史に独自の足跡を刻んできた「わらび座」の拠点がある。令和3年(2021)に民事再生という最大の危機を迎えたこの劇団は創立75周年を経たいま、組織の抜本的な再編を伴う「再生」の真っ只中にある。今村さんが語る泥まみれの再起と、劇場が果たすべき真の役割とは。

始まりはアコーディオン1本から――
「命を救う」ための芸術

わらび座の歴史を紐解くと、そこには常に「祈り」と「泥臭い生命力」が流れている。昭和26年(1951)、戦後の混迷が続く東京で産声を上げた。創立者の原太郎氏は過酷な戦争体験を通じ、「音楽は人の命を救う」という揺るぎない信念を抱くようになった。朝鮮戦争の影が忍び寄り社会が再び不穏な空気に包まれる中、彼はアコーディオンを手に音楽で日本を元気にしようとわずか3人で活動を開始した。

昭和28年(1953)、劇団は大きな決断を下す。重要無形文化財の件数が日本一多い秋田県への移住だ。地方の農村に深く根を張り、そこに眠る名もなき民衆の民謡や民族芸能をプロの役者が徹底的に磨き上げる。それが世界に誇れる普遍的なアートになるという確信があった。劇団名の「わらび」には東北の厳しい飢饉の際、人々がその根っこ(澱粉)を食べて飢えを凌いだという歴史が投影されている。「本当に人の命の役に立つ舞台創造をしよう」。それは単なる娯楽を超えた、祈りにも似た覚悟の命名だった。

わらび座が国内屈指の劇団へと成長した背景には、1980年代に創立者の原氏が下した「脱イデオロギー」という歴史的転換がある。戦後の演劇界は政治的な主義主張と密接に結びつく傾向が強かったが、原氏はそれを排した。特定の思想を広める道具ではなくあくまで「人間の根源に根差した創造、目の前の観客を喜ばせるための芸術」を追求したのだ。

指針としたのは、世阿弥が『風姿花伝』に記した「衆人愛敬(しゅにんあいぎょう)」という言葉である。「多くの人々に愛され、喜ばれることこそが一座建立の幸せである」。この理念に基づき、人間の根源的な喜びや悲しみに寄り添う舞台を創り続けた。この舵切りが実を結び全盛期には7つの公演班が同時に全国を駆け巡り、年間公演数1200回、年間観客動員数75万人という劇団四季や宝塚歌劇団に肩を並べる規模を誇るまでになった。

警察官への道を捨てた「180度の転換」─
今村さんの原点

千葉県袖ケ浦市出身の今村さんがわらび座の門を叩いた経緯は、劇的という他ない。茨城大学時代の平成14年(2002)、剣道に打ち込んでいた今村さんは警察官になることを疑わず、すでに1次試験も突破していた。6月の本試験を控え周囲の就職活動に合わせて何気なく「リクナビ」で検索した際に出会ったのが「温泉とホテルがあって劇団がある」というわらび座の不思議な求人だった。

東京での会社説明会。その後上演された舞台に今村さんは雷に打たれたような衝撃を受ける。
「警察官になれば100%悪い相手、すでに悪くなってしまった人を相手にする仕事になる。でもこの仕事をすれば、『悪い人をつくらない』社会に貢献できるのではないか。優しい気持ちを育み、人の痛みを感じ、分かち合う……そんな『感動』の力こそが人の人生を180度変えることができると思いました」

技術や能力を数倍に高めるのは容易ではない。しかし、深い感動は一瞬で人の価値観を塗り替える。その力に人生を賭けようと彼は警察官の道ではなく秋田へと向かった。「人生を間違えてここに来た」と冗談めかして笑う今村さんだがその眼差しには入社以来24年間、文化の力への揺るぎない確信が宿り続けている。

2011年の東日本大震災は、今村さんの信念をさらに強固なものにした。災害直後エンターテインメントは「不要不急」とされ、劇場から灯が消えた。しかし、わらび座は劇団員たちを被災地の避難所に送り出し、笛や太鼓を鳴らし、歌い踊った。そんな劇団員の姿とそれを見て「明日からまた頑張れる」と涙を流す人々の姿。電気や水道が戻っても満たされないものがある。「文化こそが心の復興を支える」。その確信が後のコロナ禍というさらなる深い淵において、劇団を支える最後の砦となる。

激減した公演数
突きつけられた経営の現実

令和2年(2020)からのコロナ禍はかつての「巨体」であったわらび座を容赦なく直撃した。年間1200回を数えた公演数は一気に100回を切るまでになった。10分の1以下の激減である。「自分たちはもうダメだろうな……」。苦しい状況が3年続く中で令和3年(2021)11月、わらび座は民事再生法の適用を申請した。

窮地を救ったのは、全国のファンが立ち上がった「感動の記憶」という縁だった。特にかつて新婚旅行で秋田を訪れた縁から「劇団の灯を消してはならない」と支援に動いたアパマンショップホールディングスの大村浩次会長(当時)からの資本参加(2025年10月)などは、劇団にとって大きな転換点になった。

今村さんは今、極めてシビアな経営者としての視点を持っている。
「正直、今も『どうしたらこれが事業として成立するんだろう』と必死に考えているところです。全然、途中なんです。でも確実に分かったのは営業利益が出ないと、僕たちは感動すら届けられないということ。この規模で劇団を守り文化を届けるためには感動と利益を相反させるのではなく、持続可能なビジネスとして確立しなければならない」

そこで、再生に向けた最大の布石を打つ。これまで分かれていた「一般社団法人わらび座」と劇場・宿泊・飲食を担う「株式会社あきた芸術村」を2026年4月に経営統合し、1本の組織として再出発させるのだ。これは単なる事務的な統合ではない。表現者もサービススタッフも一丸となり、「感動を届ける」という目的のために最適化された組織への進化なのだ。

本来の人間らしさを取り戻すために─
「生きることは楽しい、笑うことは楽しい」を伝える

今村さんがそこまでして劇団を守る理由は、現代社会が抱える深い闇にある。

「嬉しい時に歌い、悲しい時に泣く。それは本来の人間らしい姿です。でも日常生活でそれをやると『変な人だ』といじめられてしまう。今の社会はそれを抑え込み社会人になった途端に『個性を出せ』と言われ、でも出しすぎると叩かれる。この矛盾が子どもたちや若者を追い詰めています」

日本における13歳から19歳までの死因第1位が「自殺」であるという残酷な現実。これに対し演劇は、芸術は何ができるのか。かつて劇団に届いた一通の手紙がある。

「死ぬことばかり考えていたけれど舞台を観て、明日から生きようと思いました」

全国公演が激減した今だからこそ、今村さんは「もう一度やらなければならない」と決意を新たにする。表現を通じて「生きることは楽しい、笑うことは楽しい」と伝え救われる人を一人でも増やしていく。それが新生わらび座の真のミッションだ。

劇団の再生に向け、今村さんは「行動変容」をキーワードに掲げる。修学旅行では年間多い時で2万人、現在1万人まで回復、14歳の子どもたちは舞台を身近に感じている。しかし、そこから先一般の人が演劇に触れないまま60〜70代になってしまうという「空白の数十年」がある。この間を埋めるため、ターゲットを従来のシニア層から30〜40代の親世代へと刷新しようとしている。

最新作『真昼の星めぐり』は宮沢賢治の世界を通じて「本当の幸せ」を問い直す物語だ。障害のある方が描いたアートを世界へ発信する「ヘラルボニー」とも連携。

「ヘラルボニーさんも障害という言葉の価値観を変えたいと言っている。僕たちも劇場を一部の特殊な人の場ではなく、人が生きる選択肢の一つにしたい」

「鑑賞マナーゆるめの回」の設定もその一環だ。障害のある人や小さな子ども連れの親が「静かにしなさい」と叱る必要のない空間。全席に配置された無線制御の光るボールは舞台に興味がない小さな子でも「楽しい」と没入できる仕掛けだ。親子が劇場を訪れる。その体験が演劇を「一生の選択肢」へと変えていく。

世界へ放つ祈りの結晶『祭シアター「HANA」』

民事再生後のわらび座がその再興をかけて生み出した渾身の作品が、東北六大祭りを舞台化した『祭シアター「HANA」』。3年前に秋田で上演した際、それまでは手売りで必死に集客していたのが、自然と客席が埋まるほどの手応えを掴んだ。「これは東京へ、そして世界へ行こう」。東急グループの協力も得て、日本一のエンタメ発信地・東急歌舞伎町タワーでの公演を実現させた。

スーパー歌舞伎を手がける横内謙介氏が構成・脚本を担い「世界に通じるノンバーバルの作品になる」と評するこの舞台には、一切のセリフがない。描かれるのは若い鬼とこけしの精霊「オハナ」の恋物語。震災、コロナ、戦争……現代を襲う困難によって祭りの音が大地からかき消された荒野で二人が出会い、人の手によって祭りが再び甦っていくという感動のストーリーだ。

『HANA』の最大の特徴は観客が単なる傍観者ではないことだ。一席一席に本物の太鼓を設置し、自ら打ち鳴らす鼓動が舞台と一体化する。提灯が揺れ、客席全体が圧倒的なトランス空間へと変貌する。クライマックスの「盛岡さんさ踊り」では劇場を埋め尽くすほどの凄まじい花吹雪が舞う。それを見ているだけで、なぜか涙が溢れてくる。

「祭りの所作には、飢饉の中で民衆が命懸けで豊作を願った『祈り』が詰まっている。理屈抜きに、日本人の魂に響くんです」

今年4月11日から19日まで、この熱狂は福岡市東区・照葉の「シアターそらとうみ」へと上陸する。宿泊代の高騰や燃料費の上昇など、全国を細かく移動する従来型の巡業は、今やコスト面で大きな壁に直面している。だからこそ今村さんは今回の福岡公演を、経営統合後の新たなビジネスモデルの第一歩として位置づけている。地方の拠点に腰を据えて長く上演し、じっくりとお客さんをつくっていくスタイルへの転換だ。

「ここに来て、もしかしたら人生が変わるかもしれないという子が一人でもいるだけで、僕は福岡に来て良かったなと思えるはずです」

倒産の危機から経営統合へ。数々の荒波を越えたわらび座が奏でる土着のエネルギー。それは私たちが「本来の人間らしさ」を取り戻し、明日を生きるための最も熱い「祈り」なのである。今、その鼓動が秋田から東京、そして福岡の地から再び全国へ、そして世界へと響き渡ろうとしている。



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