母から受け継いだ一本の針─一枚の布に込める想い、オートクチュールで人生を彩る


2025年11月号 人・紀行 ② ─ 松村君香さん おはりこ 代表

「絶対にやりたくなかった」仕事で、彼女は今、多くの人を笑顔にしている。鹿児島と福岡を拠点に活動するオーダーメイド洋裁店「おはりこ」の松村さん、42歳。母から受け継いだ伝統の技術に新たな息吹を吹き込み、闘病中の友人のために開発した「平面パジャマ」は多くのメディアで注目を集めた。しかし、その華やかな活躍の裏には、就職氷河期や自身の病、そして傾きかけた家業という幾多の逆境があった。彼女を支え、その情熱の源泉となったのは、意外にも母がかけた「魔法の言葉」だった。

魔法の言葉

「絶対にやりたくなかったんです」。松村さんは、自身のキャリアの原点をそう振り返る。鹿児島市に松村さんが生まれた昭和58年(1983)に母が創業したオートクチュール(オーダーメイドの高級婦人服)の店。母は、朝から晩まで仕事に追われて休みもない。幼い彼女は鍵っ子で、学校が終わると鹿児島の中心街「天文館」にある母の仕事場へ行くのが日課だった。宿題も仕事場の隅で済ませ、夜中にミシンを踏む母の姿を見て育った。「終わるまでが仕事」という職人の世界の厳しさを、肌で感じていたのだ。

そんな環境で育った彼女は、早くから自立心が強かった。3歳の時には、破れた靴下の親指を見よう見まねで自分で繕ったという。「それを見た母は、『この子は見て覚えられるタイプだからこの仕事をやらせよう』とその時に思ったそうです」と笑う。しかし当の本人は「親の心子知らず」で、母の仕事を手伝う気はさらさらなかった。

家庭も少し変わっていた。一家団欒の場は、決まって近所の居酒屋。学校から帰ると母の仕事場かその居酒屋へ直行し、カウンターでまかない飯を食べながら両親の帰りを待つ。両親が到着すると、今度は二人の晩酌に付き合う。退屈になると千円札を渡され、近くの本屋で好きな本を買って時間を潰した。「だから料理は全然しなくても、外で食べさせてもらっていましたね」。

高校卒業後はテレビ局のADになることを夢見ていたが、進路相談の際に母から初めて「一緒にお針子をやらないか」と誘われる。もちろん、即座に断った。しかし、母がかけた「魔法の言葉」が彼女の運命を変える。

「おばあちゃんになっても小銭が稼げる仕事って、そうそうないよ」

その一言が胸に突き刺さった。ADになっても会社員になっても、老いてまで続けられる仕事は少ない。手に職をつけることの価値を、その時初めて実感したという。

こうして母の勧めで福岡の服飾専門学校へ進学する。商業科出身で縫い物の経験がほとんどなかった彼女は、人一倍努力した。「これをやらないとスタートラインに立てない」と授業に必死で食らいつき、検定は全て一発合格でテストも常に上位の成績を収めた。

逆境からの再起

専門学校を卒業したものの、世は就職氷河期の真っ只中。希望の職は見つからず、福岡で派遣会社に就職した。しかしそこでの仕事は厳しく、常駐先の福岡ドームでは連日怒られてばかり。「ストレスからか、怒られている最中に走って逃げ出したこともありました」と苦笑する。無理がたたってついに体調を崩してしまう。過呼吸のような症状に襲われ、医師から「一人暮らしは無理だ」と告げられて鹿児島の実家へ戻ることを余儀なくされた。

帰郷した彼女を待っていたのは、傾きかけた家業の現実だった。景気の悪化で、それまで事業の中心だった百貨店のお直し仕事が激減していたのだ。このままでは立ち行かない。松村さんは、家業を再建するために腹を括った。20代半ばで代表となり、事業の軸を「お直し」から付加価値の高い「オートクチュール」へと大きく転換させることを決意する。

まず目を付けたのがウェディングドレスだった。当時鹿児島にはまだオーダーメイドのドレス店がなく、貸衣装が主流。「これはいける」と直感し、雑誌やホームページで宣伝を始めると少しずつ注文が入るようになった。母親が着たドレスを現代風にリメイクする依頼や、新郎新婦の両親も制作に参加してその様子を式のビデオで流す「メイキングストーリー」といったユニークな企画も打ち出し評判を呼んだ。

「新郎側のご家族は、結婚式では疎外感を感じることがあるんです。でも自分も縫ったドレスとなると、思い入れが違いますよね。そうすれば円満に行きますよ、なんて言いながら」

さらにSDGsの流れでヨーロッパのハイブランドが余剰生地を市場に放出するようになると、独自のルートでそれを仕入れた。高級ブランドの生地を使い、本家なら200万円はするスーツを20万円ほどで仕立てられるようになると新たな顧客層が生まれた。

「鹿児島から東京や福岡のパーティーに出席されるマダムたちが、恥をかかない服を求めて来てくださるようになったんです」

趣味で洋裁を楽しむ人も増えた今、プロとアマチュアの境目はどこにあるのか。「高級な生地を扱えるかどうかです」と言い切る。繊細で高価な生地ほど、確かな技術がなければ美しい一着には仕立てられない。それこそが、母から受け継いだプロの職人としての矜持なのだ。

松村さんの作品「イタリア製のツイード生地のスーツ」
胸元のレースは数種類のレースを集めてつくったブローチ



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