「ダムなき治水無策」「被災検証なし」でダム建設に傾く背景を聞く─川辺川ダム問題の本質はどこにあるのか


2024年8月号 そこが聞きたい! インタビュー

小誌では過去に2回、川辺川ダム問題を取り上げた。今回は、ダム流域自治体の元首長に登場してもらい、その問題の本質を聞いた。聞けば聞くほど、不条理な話がまかり通っていることに強い憤りを感じる。

徳田正臣氏 熊本県相良村議会議員(前相良村村長)

昭和34年(1959)1月、相良村生まれ。人吉高校から日本大学法学部。検察官を目指していたが勉学を断念。20代後半で民間企業に就職、結婚。一男一女の父。趣味は登山。43歳で帰郷し、設計事務所に勤務後、平成17年(2005)村会議員選挙に出馬し初当選、平成20年(2008)、1期目の任期中に村長選挙に初出馬し当選し、3期務める。令和2年(2020)に村長選に4期目の出馬をしたが4票差で敗れた。令和3年(2021)に同村議選に再出馬してトップ当選。

人災

―4年前の令和2年(2020年)7月豪雨。球磨川流域で大きな被害が出て、人吉市の中心街も甚大な被害が出ました。川の氾濫の本当の原因は、球磨川でも川辺川でもなく、球磨川支流の山田川の濁流で流されてきた草木が肥薩線の橋梁とそのすぐ上に架かる染戸橋に溜まって堰化し、すぐ上流の堤防を越水した洪水があっと言う間に中心市街地や市西部に溢れ込んだのと、その水が球磨川本流に合流し切れずにバックウォーターとなったのが原因だと言われていますね。

徳田 その通りで、川辺川自体は全く関係ありませんでした。仮に川辺川ダムがあったとしても、防げなかったでしょう。関係ないですから。国交省もこのことは認識しているのではないでしょうか。それを認めないだけです。

―そうした中、白紙状態だったダム計画を蒲島前熊本県知事が任期満了寸前で撤回、その後水没予定地の五木村村長も同意しました。川辺川ダム流域自治体の長として、これまで反対されてこられましたね。

徳田 失礼かもしれませんが、私は鮎が食べられなくなるというような情緒的、感情的なレベルで反対しているわけではありません。ダムの上流での降雨ならば一定の治水効果があるのは誰でも理解できます。しかし、球磨・人吉の地域づくりを首長として考えた時、地域にとってより負担がかからない他に採り得る治水対策を考えればいいわけです。しかし、ダムは経済的・環境的・文化的・未来的に高負担です。広範囲にしとしと降っていた降り方から線状降水帯という局地的な降り方に激変したのに治水思想が50年前のままであるのも問題です。それと羊頭狗肉的というか、住民の安心安全と言いながら土建屋的アプローチでの建設が推進されようとしていることに強い不信感を覚えます。

―蒲島前知事は、初当選した平成20年(2008)に「川辺川ダムによらない治水を追究し、今ある球磨川を守っていくことを選択しているように思う。ダムによらない治水対策を極限まで追求したい」と表明しました。

徳田 当時、私は相良村の村長でしたが、実質的な検討はなされず、ある意味アリバイ作りではないかと思っていました。ダムの建設予定地は、五木村との境界に近い相良村です。村長だった私は、ダム建設地の当事者である村及び人吉・球磨地域の安心安全と将来の地域づくりを考えた時に、ダムは不要であると結論付け、「ダム建設は容認しがたい」、つまり反対を表明しました。ダムによらない治水をもっと検討すべきでした。その後、ダム建設の最大の受益地である当時の田中信孝人吉市長がダム反対を表明しました。恐らく、初当選したばかりの蒲島さんは流域自治体の首長が反対しているので、地元の民意だと受け止めて白紙にしたのでしょう。

元々学者出身の蒲島さんはダム白紙表明で支持母体の自民党からかなり突き上げられたようです。政治的現実を突きつけられた蒲島さんは、どのタイミングで白紙を撤回しようか窺っていて、4年前の豪雨をいい機会と思ったのではないでしょうか。実際、ダムによらない治水対策の検討は実現不可能な提案ばかりが出されて、徐々に消去法的にダムしか選択肢がないというような雰囲気で、ダム建設ありきとしか映りませんでした。私は1回目の検討会の席上で「これでは結論が出ないから無駄」とはっきり発言しました。まさにその通りになってしまいました。

この間、国と県は治水対策をほとんどやりませんでした。防災は待ったなしです。本来ならば、やれることから積み上げて実行していかなければ、計画を立てるのにいたずらに時間をかけている間に洪水が起きたらどうするのでしょうか。実際、4年前の水害はそのツケが回った結果でした。
基本的にはダム建設の前提条件は、先ほど申し上げた通り気候の変化を全く考えていない。今のような線状降水帯による想定外の降水量では、その前提が通じなくなっています。つまり、ダム建設の思想を根本から考え直し、再検討するのならまだしも、それすら国交省はやっていません。

―それなのに、ダム建設に舵を切られた…

徳田 国交省、政治、建設業界はダムを作りたくて仕方がないのでしょう。都合のいいデータしか出しません。中立的立場と言いながら、出てくるデータの全てが国交省のお手盛りばかりです。

―4年前の豪雨では川辺川下流域の相良村の被害は?

徳田 人的被害はありませんでしたが、建物被災が400棟余り農地被害面積が110haありました。特に柳瀬地区において被災が大きかった原因は、球磨川と川辺川の合流地点の少し下の三角州でした。元々河川敷だったのですが、ずいぶん昔に砂利会社に払い下げられ所有権が転々として当時は地元の建設会社が所有していました。そこに森林組合の大量の材木が集積していました。その材木が濁流に流されて、くま川鉄道の「球磨川第四橋梁」第四橋梁に引っかかってダム化し、柳瀬地区の民家や農地に浸水したのが原因です。そのダム化により滞留した膨大な水の水圧により第四橋梁が決壊して一気に人吉市内に流れ込みました。それに付け加えて球磨川上流の市房ダムの「放流」が重なり、先ほど出てきた山田川の水が人吉市内で球磨川本流に合流できずバックウォーターとなって人吉市内の被災を拡大増幅したわけです。これは人災です。しかし、国はこれを絶対に認めていません。
しかもあろうことか柳瀬地区の甚大な発災原因地になった「合流地点」に被災地人吉の災害土砂や治水対策での河川の掘削土石を土砂置き場として高く堆積させるという国交省の事業には唖然とさせられました。

しかし、このような重要なことを本省は把握しておらずこの事実を伝えたら「これも治水対策」と言っておきながら、私ども数人の村会議員が直接本省までクレームに行ったら慌てて堆積土石を除去しました。地方の出先と本省との情報共有が全くできておらず、これで地域の安心安全のためのダム建設と言っても地域住民の不信感は募るばかりです。

―少なくとも所有者を告訴することはできるのでは?

徳田 基本は自然災害という不可抗力でもあるし因果関係等の立証や予見可能性という点で無理でしょう。国が認めないことをいいことに「材木は置いていなかった」の一点張りです。目撃情報はたくさんあるのに。しかも、問題の建設会社は災害復興で焼け太りのように工事を受注しています。蒲島知事が白紙を公式に撤回したのは数カ月先ですが、ダムに言及したのは発災からたった3日後、「川辺川ダムがあったら…」の言葉には呆れてしまいました。検証する時間もないし、それよりもなりよりも被災者救済に当たるのが県トップの姿勢のはずです。ただ、ダム推進へ大きく振り子を振りたいために鉄は熱いうちに打てと焦られたのでしょう。

疲弊した地方で起きていること

―強引な論理でダムを造ろうという国や行政、政治、建設関係の圧力は相当なものなんでしょうか。疲弊した地方には産業が少なく、勢い土木建設業が多いようです。そのため地方は巨大な公共投資という飴をぶら下げられると、どうしても食いついてしまうという構図があるのでは?

徳田 この背景には、これまで安直な公共事業政策、分かりやすく言えば土建政策を続けてきたことがあると思います。その一方で地方の主要産業だった農林水産業を衰退させてきて、今や食糧自給率は4割を切っています。その結果、地方に公共事業という麻薬を打ち続けてきて、産業がない地方は建設業に依存する体質になってしまいました。このままでは地方は衰退するばかりだというのが目に見えていたのに、産業構造を変えることを怠ってきたツケです。

地方は産業構造が建設土建業に依存するいびつな形になって、タコ足状態、つまり莫大な税金をつぎ込み、自然環境を破壊し続けて、このままでは本当に地域と地域が守ってきた自然環境が消滅するのは目に見えています。


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