2025年7月号 特別寄稿

筆者略歴
下山陽太/平成三年、青森県弘前市生まれ。皇學館大学文学部神道学科卒。同血社同血新聞社『闢邪』編集長。
権力の暴走
令和七年三月二十五日に東京地方裁判所は旧統一教会を宗教法人法に基づき「解散命令」を下した。
宗教法人法では「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」があつた場合には、裁判所が解散を命じることができる。法令違反を事由に「解散命令」が命じられたのは「オウム真理教」などに続いて三例目である。そして、「民法上の不法行為」を事由としての「解散命令」は初めての事例である。
この度の旧統一教会の「解散命令」に関しては疑義を感じる。なぜなら、統一教会への「解散命令」の事由が「民法上の不法行為」としてゐるからである。しかも、そのためにいままでの宗教法人法に基づく「解散命令」の要件に関する法的解釈の変更も行なつてゐる。
政府が「民法上の不法行為」を事由に「解散命令」を下せる前例を作つてしまへば、「民法上の不法行為」の適用範囲を不当に拡大させ、宗教法人を恣意的に解散させることができる。極端かもしれないが、左派野党を中心とする、民主連合政府が誕生してしまつた際、「神社神道」に対して、「民法上の不法行為」の適用範囲を不当に拡大させ、弾圧することもできる。また、特定の宗教団体の影響が強い政党が、敵対する宗教団体や特定の宗教団体を弾圧するために悪用することもできる。そのやうな悪しき前例を作つたことは痛恨事である。政府が世論に迎合し、特定の宗教法人に「解散命令」を下したことは権力の暴走である。
条件付きの「信教の自由」
そもそも、旧統一教会は「韓国至上主義」を標榜し、「高額献金」「合同結婚」「霊感商法」などを行なつてゐるばかりではなく、関連団体を通じて、各界に影響を伸ばしてゐる。
「日本の天皇と韓国の王とが交差結婚をしなければなりません。その次に上・下院が交差結婚しなければなりません。日本で言へば、首相と大臣たちがすべて韓国の怨讐たちと完全に交差結婚しなければならないのです」(『文鮮明先生み言葉選集』三百四十六巻)
その上で旧統一教会の目指すものは「宗政一致」であり、その頂点に統一教会が君臨するといふものである。まさしく、旧統一教会は「邪教」の代表格である。だからこそ、旧統一教会に対して、「刑法上の不法行為」で「解散命令」を下さなければならなかつた。
戦前と戦後の宗教行政はまつたく異質のものである。
『大日本帝国憲法』には「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とあり、さらに『刑法第七十四条』(「皇室に対する罪」)や『治安維持法』が存在し、国体に挑戦的な宗教団体は取り締まりを受けた。それは国体の観念を擁護するものであり、国家の尊厳を守るためには致し方ない。言ふなれば、戦前は条件付きの「信教の自由」の容認であつた。その後、終戦を迎へて、『日本国憲法』が公布し、施行されると、無条件で「信教の自由」が容認される。その結果、戦前に取り締まりを受けた宗教団体が復活し、新しい宗教団体が誕生する端緒となつた。過度に「信教の自由」を認めることはオウム真理教のやうな宗教団体を生み出す要因となる。よつて、「信教の自由」を条件付きで認め、「国体」を変革しようとする宗教団体を取り締まり、時と場合によつて、解散させなければならない。これこそが、精神国防である。
日本国中の宗教団体が「天皇教」になることが「国民精神作興」に繋がる。そして、旧統一教会問題を抜本解決することが国体闡明の第一歩となる。あらためて、日本における宗教団体のあり方を考へていきたい。