2025年5月号 そこが聞きたい! 対談

東京一極集中の加速と比例するように地方の疲弊が進んでいる。この一極集中を解消しなければ、日本の将来は危うい。九州連邦構想の意義と可能性を語ってもらった。
駄田井正氏
昭和19年(1944)、大阪府堺市生まれ。大阪府立大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程満期退学。『経済学説史のモデル分析』で経済学博士(九州大学)。久留米大学商学部講師、助教授、教授、経済学部教授、経済学部長を経て現在名誉教授。専門は文化経済学。著書(共著)に『文化の時代の経済学入門』(2011)、『筑後川まるごとまるごと博物館』(2019)などがある。現在、筑後川・矢部川流域のもつ自然・文化・歴史・社会的価値を経済学的価値に転換することに集中している。
茂木将秀氏
1968年、東京都生まれ。国際基督教大学中退後、The Art Students League of New York留学。アメリカ留学中のアートフェスティバルでの受賞でスカウトされニューヨークの外資系広告会社「Ogilvy&Mather」に入社、20代でチーフプランナーに抜擢される。その後帰国。東京の商社グループで新事業開発部門長、傘下のBtoC専門広告会社では代表取締役社長を務める。東日本大震災を体験した2011年から現在に至るまでは社会起業家として活躍。その傍ら、複数の企業・団体で役員なども務めている。東京大学産学連携協議会会員、プロジェクトJ元代表。
東京一極集中の問題意識
「アメリカに追いついた先にどういう社会を創るかという発想、モデルがない」(駄田井)
「徴税された税金が日本人のために使われているかどうか。かなり疑わしい」(茂木)
―私の記憶では、東京一極集中の是正が声高に叫ばれ始めたのは1980年代だったと記憶していますが、1972年に田中角栄氏が発表した『日本列島改造論』がその先駆けだと思います。しかし、今日まで一向に是正されず、今や東京都民は国民の10人に1人、1都3県の首都圏住民に至っては3人に1人というのが現状です。そうなると、当然、国の施策などは東京中心になってしまい、その他の地方が置き去りにされてしまうのは、自明の理です。地方ではシャッター商店街、田舎では限界集落どころか終息の危機にさらされている地域がたくさんあります。九州独立、九州自立、日本再生にしてもこの不均衡で歪な国土構造を変えることから始めるべきではないかと思います。
将来というか現実になってきていますが、地方が疲弊すればコメなどの主食を作ることができなくなって、国の食糧安全保障は今や危機的状況になりつつあります。「買えばいい」と都会の人は思うかもしれませんが、経済力が低下し円安が進めば外国が売ってくれてもかなり高いコメを食べなければならない。現に令和の米騒動が起きています。どう考えても食糧供給基地である地方を再興しないと、日本が危ない。かと言って、その政策を決める永田町、霞が関にそれが期待できるかというと、ある意味、絶望的な状況ではないかと。まず、この現状認識から聞かせてください。
駄田井 少し話がずれているかもしれませんが、私はいい時代に生まれた(1944年生まれ)と思うんですよ。終戦後、ずっと戦争がない時代です。明治以降の約160年の半分は戦争の時代で、その半分の戦後80年代が平和の時代です。前半の80年の日本は貧しい国でした。国民は皆、貧しい中で苦労して近代化を進めてきました。明治から大正にかけて製糸工場で働く女工を描いた『あゝ野麦峠』に出てくる彼女たちのような人々の、血と汗と涙で日本の近代化は達成されました。戦後はたまたま経済が成長し平和を享受している時代で、そういう意味で私はラッキーな世代なのですが、このラッキーがいつまで続くのか。かなり疑問だと思います。
日本がなぜ高度成長したのか。その背景には戦後、アメリカの占領政策の大きな転換があります。当初アメリカは、日本を二度と強い国にならないように農業国家にしようとしていましたが、朝鮮半島の動乱で日本を共産主義の防波堤にすべく工業国家へと舵を切りました。ある意味、日本の経済成長は共産主義国家の存在があったからかもしれません。
戦後の日本にはアメリカというモデルがあったのもラッキーでした。それを模倣すればよかったのですからね。しかし、アメリカに追いついた先にどういう社会を創るかという発想、モデルがない。これは世界も同じで将来のモデルが描けていません。私は、これからの社会は成長主義から脱却すべきだと思っています。どんなに技術が進歩しても人間は幸せになれるとは限りません。今の若い人は戦後80年はラッキーな時代という意識はないと思います。高度成長を経て日本が豊かになってから生まれてきていますから。よほどしっかりやらないと不安定な時代が来ると思います。長期的視野で政策を実行するべき時期に来ています。
茂木 端的に言うと、「世界のATM化」している現在の日本はかなり問題だと思っています。つまり国際社会、特にアメリカに言われるままにおカネをバラまいている現状はかなり気に入らない(笑)例えば、今、お台場カジノ構想が再び浮上しようとしています。タレントの中居正広さん問題でフジテレビが大ダメージを受けましたが、よくよくと考えたら中居さんは他の局にも出ていましたから、フジテレビだけがバッシングされるのはおかしいですよね。この背景は昨季NPBプロ野球の日本シリーズ中継にフジテレビが大谷翔平所属のLAドジャーズのワールドシリーズ各試合、しかもその再放送をぶつけて視聴率競争に勝ってしまったことが一因と言われています。
当時フジの取材陣が日本シリーズ出入り禁止になったり、映像や画像の提供をNPBから受けられなかったことはまだ記憶に新しいと思いますが、ようするにフジはあの時にNPBと他局を敵に回してしまった。だから今もテレビ界の王者然としたフジに一矢報いたい他局にとっては「中居正広さんの問題」が昨今の社会情勢もあり「使えるネタ」だったということです。
その結果、経営状況が悪くなったフジ・メディアHDの約7%の株を所有する大株主ダルトン・インベストメンツ・ジャパンは経営陣の退場を要求していますね。テレビ業界の内輪もめに乗じたダルトン社は、今回の騒動をチャンスと見てフジがコロナ騒動前に東京都から約140億円で払い下げを受けた東京湾埋立第13号地という不動産の売却誘導を狙っています。現在「お台場の土地取引価格」ですが、再開発と外国資本による「日本買い」でかなり値上がりしており、フジが保有する不動産の時価総額は現在5000億円超にまで跳ね上がっています。
ダルトンはこの土地の売却を狙っていて、このまま「役員入れ替え」が進んでいけば、結果的に外資によるカジノ構想が再浮上することになると予想しています。つまり、またもや肥え太った日本の資産がトンビに油揚げをさらわれるがごとく横取りされてしまう。まさにハゲダカにやられてしまう可能性があるのです。元々私はカジノ構想に賛成の立場なのですが、国内資本ではなく外資でという点には強く不満を覚えます。日本が外資の「打ち出の小づち」として利用されるのは、いい加減やめさせなければなりません。
それに今の通貨制度は金本位制ではありませんよね。金本位制は、1971年にニクソン米大統領が金とドルの交換を停止したことで崩壊し、1978年に正式に廃止されました。今ではドルの保証は「金」ではなく「アメリカの軍事力」が担っているのが現状です。
ということは、我々がありがたがっている1万円札に実際の価値を保証するものは無く、結論としては「ただの紙」なのです。電子マネーに至っては紙ですらなく数字だけの世界です。軍事力を背景にドル基軸を維持したいアメリカはBRICs(ブリックス)が基軸通貨を変えようとすると関税引き上げをちらつかせて圧力をかけてきましたよね。日本は幸い、日本政府が日本銀行の株式比率のうち55%を保有し、個人の筆頭株主は天皇陛下ですから、文字通り「親方日の丸」です。ギリギリのラインではありますが経済を自国でコントロールできる現状にはある。戦前の近代化の過程は半分社会主義で半分が資本主義のような体制でやってきて、戦後もどうにか「日本人の気質」という表現で国内はごまかしてきましたが、海外では「世界史上で最も成功した社会資本主義国家が日本だ」と言われてきた。ですが、ここに来て国民の実質税負担率が50%を超えてしまいました。例えば日本の消費税は売った時にだけかかるのではなく、製造、卸、流通の段階にもかかりますので、遍く課税されている、税金を徴収することを目的によく考えられたシステムです。
この徴税された税金が日本人のために使われているかどうか。これは、かなり疑わしい。
一極集中の弊害
「国のガバナンスは相変わらず人口3000万人の時に作った中央集権体制のまま」(茂木)
「東京一極集中は人間の体に譬えると、頭が熱くて手足が寒い状態」(駄田井)
―東京一極集中の弊害について。東京及び首都圏にヒト・モノ・カネが異常に集中した結果、地方が疲弊してしまいました。農林水産業の衰退による食料自給率の低下、人口減少など現代の日本の深刻な問題を引き起こしたではないかと見ています。茂木さんは拠点を東京から福岡市に移してしばらく経ちますが、東京一極集中の弊害はどう感じていますか?
茂木 元東京都民として、第一には交通渋滞それに治安の悪化でしょうか。東京は土地が高いので住居費は負担が大きいのですが、実は生活コストは安いのが現実です。衣食住の住だけが高く、衣と食に関しては意外と低コストなんです。これは東京を中心に首都圏にモノが集中しているからですが、問屋街に行けば大抵の品は安く買うことができます。治安に関しては、例えばわかりやすいのが山手線の車内。今や女性にいきなり抱き着いてくるような外国人が結構います。日本だと痴漢なんですが、文化、コミュニケーションがそもそも違うんです。
東京一極集中の弊害という視点は東京都民からすれば公的に作られてきたのが実態でしょうね。明治初期の人口3000万人時代のスキームでこれまでやってきたわけですから、人口1億2000万の時代に社会的な弊害が出るのは当然なんです。ではなぜ、東京に一極集中させたのか。江戸時代まで全国に分散していたヒト・モノ・カネ、そして軍事力を集中させなければならなかったからです。つまり、外敵から国を護るためでした。しかし、戦後、日本も平和な時代になって、中国などの仮想敵国こそ存在しますが、明確な即応すべき敵は存在していませんから、東京に国としてのエネルギーを一極集中させている意味はとっくになくなっています。
逆に、人口3000万人時代ですら、それぞれの地域が経済的に自立できていました。今の人口規模ならば分散しても、それぞれの地域が自立できないはずがないんです。会社経営に譬えるとよく分かります。社員数3000人の会社が急成長して1万2000人の大企業に成長しました。しかし、経営陣は変わらない。するとどうなるか。企業経営だったら、ホールディングスを作り分社化するのが当然です。各社のトップの中から一番優秀な人物がホールディングスのトップになるのが自然の流れですよ。ところが、国のガバナンスは相変わらず人口3000万人の時に作った中央集権体制のままです。霞が関の役人は夜中まで一所懸命働いていますが、それが何のためなのかが問題です。彼らは税収獲得、利権や天下り先作りに勤しんでいるわけです。霞が関は出世争いが激しいと思われていますが、なぜ出世したいかというと「利権にありつくため」なわけです。要するに、国民の財布をわが物にしていると言えるのです。なぜ税金を徴収するのか。それは国民が困っていること、国民が必要だと思うことをみんなでお金を出し合って解決するためです。
―地方の視点から東京一極集中の弊害を何か感じますか?
茂木 分かりやすく言えば地方は「おもらいさん」になってしまっています。中央から下りてくる予算でしか生きていけないために、中央にいかに気に入ってもらうかに腐心しています。地方は中央に税金を吸い上げられているのが実態なのですから、その使い道にはもっと文句を言わないといけません。徴税権とその集めた税収を分配するのは強大な権力です。この両方をしっかり監視し、それがおかしければ声をあげるべきなんです。
所得には財務省、支出には経産省、資産には総務省がそれぞれ税をかけているのですが、1人に対して3カ所が課税している。本当なら徴税する省庁は1カ所でいいはずなのに、おかしな税制になっているのが現実です。こうしたおかしいことが改善されていないのは、情報を積極的に公開することもなく、国民に知らされてもこなかったため、時系列の記憶が大多数の国民に無いからです。税の目的や収支経過とその結果が全く知らされていない。所得税だけではありません。健康保険、年金、タバコ、酒、消費税、ガソリン税、自動車など気がつけばあらゆるものに課税されています。その総負担率は、今や国民一人当たりに平均すると6割に迫ろうとしているのが実態です。この背景には、日本国民の政治無関心があります。自分たちに関係しているのにメディアコントロールの影響で「他人事」になっている。これも一極集中の弊害でしょう。
駄田井 一極集中は持続的社会の可能性を失ってしまいます。いずれは国自体が成り立たなくなります。資源の有効利用という観点で言えば、東京に一極集中している現状のままではそれを損ないます。その結果、地方が消滅して多様性が失われ、画一的な社会になります。一極集中する最大の原因は、現在の教育制度にも一因があると思います。偏差値教育、学歴社会が是正されるどころか加速して、東京に地方の優秀な若者が吸い上げられてしまっています。つまり、優秀な人材が地方に残らない。今の画一化された教育ではなく、もっと多様性のある教育体制にして地方を担える優秀な若者が残るようにしなければ国が滅びます。地方こそ優秀な人材を確保すべきなんですよ。
―福岡から東京に進出した人たちから聞くと、東京と福岡の仕事の質はほぼ変わらないが、報酬額にかなり開きがあると言っていました。
茂木 確かにそうですね。ただ、東京と地方で起業する初動の違いとして、地方は補助金や助成金、制度融資なども使いますが、東京は富裕層からの直接出資で起業する方が多い傾向もありますね。ノブレス・オブリージュ、つまり出資する余裕がある富裕層が起業家を支援する、これをカッコイイことと見る土壌が東京にはあります。
―昔は地方にもそうした篤志家がいたんですが、今ではほとんど見かけませんね。
駄田井 宮崎観光の父と言われた岩切章太郎は、「東京一極集中は人間の体に譬えると、頭が熱くて手足が寒い状態」だと言っていました。頭寒足熱ではなくて不健康な「頭熱足寒」状態だと。江戸時代は頭寒足熱だったと思います。明治維新前後は欧米の植民地化から日本を護るため東京に一極的に集中させる必要があった時代は確かにありました。しかし、その役割を終えてむしろ弊害があるのにもかかわらず是正されないのが現代日本における大問題です。
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