2025年6月号 人・紀行 ─ 笹栗浩明さん 「蛍雪の里 黒川山荘 十割蕎麦処」 店主

朝倉市黒川地区。この山間の集落に十割蕎麦と蕎麦粉を使ったユニークな料理を提供している店がある。筆者は取材の数カ月前におまかせをいただいたが、ボリュームもさることながら味も十分堪能した。「なぜ、こんな所に?」という素朴な疑問が笹栗さんから話を訊く動機になった。
試行錯誤の末
お店のメニューは「おまかせコース」(3500円)と蕎麦コース(2000円)のみで完全予約制。「開店当初はいくつか単品メニューも提供していたんですが、1人で切り盛りしているので」。メニュー構成は、焦がしチーズ風味の茶碗蒸しから始まり、十割蕎麦の「ガレット」、そしてメーンの十割蕎麦、デザート、ドリンク。
笹栗さんのイチ押しは、「ガレット」だ。
ガレットはフランス料理で「円く焼いた料理」を意味する。蕎麦粉で作ったクレープと表現したら分かりやすいだろうか。小麦が育たず、蕎麦が栽培されるフランスはブルターニュ地方の郷土料理だそうだ。実際に食べてみた感想としては、「ありそうでない」食感と表現すればいいだろうか。サクッとしていながらも、もっちり感がある不思議な食感だった。
笹栗さんがガレットの行き着いたのは、十割蕎麦の試行錯誤の過程があったからだった。十割蕎麦は文字通り蕎麦粉だけで打った蕎麦だが、つなぎの小麦粉を使わないので難しく、またボソボソしてあまりうまくないとも言われる。しかし、十割蕎麦は打ち方次第では、蕎麦本来の独特の香りと食感が楽しめる。実際、江戸の元禄時代までは「生粉(きこ)打ちの蕎麦」として十割蕎麦が主流だった。その後、小麦粉を2割加えた「二八(にはち)蕎麦」が主流になっていく。近年、十割蕎麦が復活した感があるが、実際に打つのはやはり難しそうだ。
開店前から十割蕎麦に挑戦したが、当初はブツブツに切れて使えない蕎麦が大量に余った。蕎麦としては使えないので蕎麦湯にして出した。濃厚な蕎麦湯になって好評だったが、それでも余るのでこれをどうしようか思案して閃いたのがガレットだった。このガレットを完成させるのに、「時間とおカネをかなりかけましたね」。蕎麦粉を水で溶いて塩を加えて生地を薄く延ばして焼くのだが、十割蕎麦でガレットを焼くのはかなり難しいという。
「小麦粉や卵を入れると繋がりやすいのですが、本来の蕎麦の風味を味わってもらいたいので十割蕎麦にこだわりました。香ばしく色を付けてサクッとした食感にするのに苦労しました」
蕎麦粉と水の配合、鉄板の温度、裏返すタイミングなど納得できるガレットができるまでに数年かかった。開店当初から提供していたが、なかなか理想のガレットが焼けない。厚みのあるフライパン、すき焼き鍋、厚底の天ぷら鍋など試行錯誤するがうまくいかない。鋳鉄製で熱がまんべんなく伝わるスキレットで焼くと少しうまく焼きあがった。
しばらく大きなスキレットを使用していたが縁があるのでフライ返しがやりにくく、真ん中が焦げてしまう。そこで縁がない電気式のクレープ板を使うが、温度が低すぎてうまくいかない。その後、ガス台のクレープ板で焼くと焼けたが、蕎麦粉の生地がツルツルした鉄板になかなか馴染まない。そこで考え出したのが、焼き物の伝統技術「飛びかんな」だった。
福岡県東峰村で江戸時代前期から続く小石原焼の技法で、工具の刃先を使って、連続した削り目をつけ、焼きあがった陶器に独特の幾何学的模が浮き上がる。元々お店で使っている蕎麦の容器はザルではなく、小石原焼を使っていた。「ザルはしっかり洗わないと不衛生。そこで蕎麦から出る水気が刻まれた溝ではける小石原焼を使っています」。この飛びかんなの技法を使えないかと鉄工所に持ち込み、鉄板に刻みを入れてもらった。早速、焼いてみると蕎麦が絡んできれいに焼けた。「水が多過ぎたら緩くてなかなか固まらないし、硬すぎたら生地が伸びません」。蕎麦粉と水の配分も試行錯誤の結果、黄金比率を探し当てた。

何度か作り方を請われ「これだけ時間とおカネをかけたのに」と断っていたが、何度も頼まれたのでガレット教室を開いた。いざ教えると焼けるようになったのを見て、達成感が生まれた。生徒にはビーガンレストランのオーナーやフランス料理コンテストで世界大会に出たシェフなどその道のプロも。「もちろん個人差があって、出来ない人もいます。センスがある人はきちんと焼けるようになります。教えていてこちらが学ぶ喜びもありましたね」。ガレットのワークショップは今年から定期的に開く。今後はレシピ、飛びかんな入りの鉄板をセットで売り、十割蕎麦ガレットの普及、その先には、十割蕎麦ブーム到来という期待がある。「健康食としての蕎麦がもっと広めたいですね」。
蕎麦にはグルテンが含まれていない。グルテンとは小麦などの穀物に含まれるたんぱく質の一種で、パンや麺のもっちりとした食感を生み出すことができる反面、体質によっては、グルテンが消化吸収を妨げ、アレルギー反応、腸内環境の乱れを引き起こすことがある。そのグルテンを摂取しないグルテンフリーという食事法は一流アスリートも採用するなど注目されている。実際、笹栗さんもグルテンフリーを実践して減量に成功、悩んでいたアトピー性皮膚炎も治るなど体調も良くなった。その体験があったからこそ十割蕎麦にチャレンジしたのだ。
海外渡り鳥生活
とになったのか。
昭和35年(1960)、甘木市(現朝倉市)に生まれる。地元の高校卒業後 福岡市内の大学に進学する。学生時代は飲食店でアルバイトするが、当時は料理の世界に入るとは夢にも思っていなかった。
大学を卒業して一般企業に就職するが、将来を考えた時に手に職をつけた方がいいと漠然と思い、飲食店で料理を習うが本格的な修行ではない。そんな時に誘われて糸島半島の二見ヶ浦の海外沿いにカフェを開店。「若気の至りだったんでしょうね。2年足らずで閉めました」。
その一方、子どもの頃から海外に憧れがあった。福岡市に進出してきたホテルのオープニングスタッフとして転職し、海外へのチャンスを窺っていた。オーストラリアの永住権が取れた。33歳の時だった。
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