37代目宮司兼オーナーシェフが描く里山再生構想 神社と料理と農のアンサンブル─古くて新しい神社のあり方


2025年3月号 人・紀行 ─ 甲斐大史さん Brasserie EST !(ブラッスリー エスト)オーナーシェフ・宝八幡宮(大分県九重町)第37代宮司

創建から1300年を超える神社の宮司がフランス料理のオーナーシェフをやっていると聞いて、早速取材を申し込んだ。神社とフレンチという一見、全く関係ない組み合わせに俄然興味が湧いたからだ。

フレンチとの遭遇

取材場所は大分県玖珠町の「豊後森駅」前のお店。その前に神社を参拝しようとお隣の九重町松木地区にある宝八幡宮を目指した。2月上旬のこの日は前日まで襲来していた厳しい寒波の影響で道路が積雪していないか不安だったが、高速道路、国道とも問題なかった。

宝八幡宮は宝山(標高約816m)の中腹に建ち、奈良時代の養老2年(718)に創建、全国八幡宮の総本社「宇佐神宮」の分霊を奉じている。『豊後国志』にも登場し、鎌倉時代には「豊後七宮八幡」の一つにも数えられほどに繁栄し、古来より上下の崇敬篤いものがあった。戦国末期には、薩摩の島津軍の北上により本殿を始め各種建造物・古文書・ご神宝類に至るまで、ことごとく焼失・散逸させられる。江戸初期に復興し、石鳥居(町指定文化財)の柱に「神宮寺八幡大菩薩御寶前」とある様に、江戸時代までは神仏一体の信仰も守られてきた。

神社の大鳥居を潜って坂道をしばらく行くと、斜面が積雪していた。布チェーンを巻いて上ると斜度がさらに険しくなった箇所でスタックして前に進まなくなった。降りて道の状況を確認すると、雪の下が凍結し布チェーンが噛まない状態。少しバックしてもう1度挑戦するがやはりスタックしてしまう…諦めた。お宮の神様から「もう1度出直せ」というご神託なのだろう。

甲斐さんが経営するレストランは、JR久大本線豊後森駅の向かいにある。豊後森機関区に設置された扇形機関庫は機関区廃止後もそのまま残された。平成18年(2006)、町が機関庫をJR九州から買い取った。扇形機関庫と転車台は、平成21年(2009)に近代化産業遺産に認定され、同24年(2012)に国の登録有形文化財に登録されている。

お店は今年で開店して6年目に入った。席数は最大で10名、ランチとディナーのコース料理のみの完全予約制だ。フレンチと言うと、マナーがうるさく敷居が高いイメージがあるが、「お箸を使って食べられるようなカジュアルなコースがメインです。もちろんご要望があればより良い食材を使用したフルコースもご用意致します。料金は玖珠町では少し高めかもしれませんが、都市部のお客様にとっては比較的安いと思います」。店名のブラッスリーとはフランス語で大衆食堂、エストは「ここに美味しいワインの店がある!」という意味だそうだ。食材は野菜、肉は豊後牛など、なるべく地元のものを使うようにしている。

「豊後牛の中でも出産を終えた経産再肥育牛を使っています。出荷前に再肥育された牛で、若牛より旨味・風味があります。サシが入り過ぎていないのも特徴です」

お店では比較的価格が抑えられる豚肉を使用、地元産の「九重夢ポーク」玖珠町のブランド豚「豊後とことん豚」や放牧飼育された「月の灯牧場」の黒豚などを主に使っている。

もう一つの「本業」である神職は、今年、37代目の宮司に就任する。

幼い頃から神職を継ぐことを漠然と思っていたようで、幼稚園児の時、先生から将来何になりたいかと訊かれ、「神官さん」と答えると、「しんかんせん」と先生に聞き間違えられたという笑い話がある。昭和56年(1981)に二人姉弟の長男として生まれる。「将来のことはあまり考えていなかった」中高の多感な時期でも神職を継ぐことに対して抵抗感はなく、地元の進学校、県立森高校(現在は、県立玖珠農業高等学校と統合し県立玖珠美山高等学校)を卒業後は三重県伊勢市の皇學館大學に進んだ。

大学卒業後に、実務研修などを経て伊勢神宮の大宮司を除き、別表神社の宮司並びに権宮司になるために必要な階位「明階(めいかい)」を取得する。2年間の寮生活を経て、自活生活を過ごす。後にレストランを開く原点になったのが、大学4年生の時のアルバイトだった。

元々、料理が好きだった甲斐さんが、軽い気持ちでアルバイトを始めたのが、伊勢神宮外宮前にあったフランス料理店「ボンヴィヴァン(Bon vivant)」だった。

「スープを素材から作るのを見て、料理は素材から出来上がっていくんだなと衝撃を受けました」

その魅力に取りつかれて、卒業後も正社員として働き、10年間勤めた。

「父からは『帰ってこい』とは一言も言われませんでしたが、そこは暗黙の了解でいずれは帰ることになるとは思っていました」

現在、日本には約2万人の神職がいるとされているが、神職不足が相当深刻で一人の神職者がいくつもの神社を兼務するケースも多い。全国に8万社弱の神社があると言われていることを考えると、神職不足は深刻だ。また、神職だけでは生活ができないので兼業する神職も多いという。

「父も町役場の臨時職をやっていました。そういう意味では、何か手に職をつける目的もありました」

オーナーシェフの河瀬毅さんは、洋食店見習いコックとして料理人としてのキャリアをスタート。上京して研鑽を積んで独立し、地元伊勢に「ボンヴィヴァン」をオープン。伊勢フレンチを牽引してきた人物だ。著書に『人生を愉しむレストラン: Bon Vivant』(2012年)の著者 がある。河瀬さんの下、レストラン時代には学べたことが多かった。

「今の料理に生かしているのは、感謝する、モノを大事にするなど人として当たり前のことができる人間力です。コツコツ小さいことを積み上げることの大切さを学びました」

また、料理の技術に関しては「音も料理」という教えが今も甲斐さんの中で生きている。

「例えば、オリーブオイルでにんにくを炒める時の音、それから立ち上がる香り、触感、味など五感で感じろということを鍛えられました」

フレンチレストランは料理だけできればいいというわけではない。接客サービス、ソムリエとしてワインの知識も必要でパテシエとしてお菓子も作らなければならない。全ての仕事を経験、充実した濃密な10年間を過ごした。

この間、自分が神職だということを認識させられることがしばしばだった。伊勢神宮の前というロケーションだけにお客から神社のことでよく訊かれた。

「訊かれて的確に答えられたか不安だったので、あらためて神社のことや古事記を深く勉強するようになりました」

神社を中心とした里山再生

10年前にお宮に帰った。見習いとして経験を積む傍ら、地元のホテルの洋食部門でパートタイマーとして働く。実際に神社の仕事をやると、地域との触れ合いがいかに大事かということを実感する。「直会でお酒を相当鍛えられましたね(笑)」。

話は少し逸れるが、筆者は神社の神域に入るとなぜ気持ちがすっきりするのかが不思議だった。神社が創られる所は元々磁場が強く、磁力で空気が清浄化され人体の血流が整えられる。また、参拝して気持ちが落ち着くということもあるのだろう―という仮説を立てていた。

「風水的にも良き場所に創建されたこともあるでしょうね。元々、棲みついている微生物も神様です。土着の神様が穢されていない、護られている空間に多くの神様と人の内にある神様との波動が整えられていることもあるでしょうね」

神社と地域社会の結びつきは長い歴史を持つが、現代は過疎化や地域の氏子の高齢化や神社離れで地域社会の崩壊が危惧されている。実際に甲斐さんが務める神社の氏子も減少している。そこで神社とその周囲の地域活性化策として甲斐さんはある構想を温めている。

「自然葬」。神道による葬儀のことを「神葬祭」と言う。近年この神葬祭への要望が都市部を中心に増えてきている。

「最近では納骨堂を建てる神社の話をよく耳にします。お寺の納骨堂のキャパシティオーバーや神道の方が安いなど様々な理由が背景はあると思います。しかし、私自身にはしっくり来ない」


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