2025年11月号 人・紀行 ① ─ 栗原永昌さん(31歳)
天満貴船神社 権禰宜・ダーツ株式会社 チーフディレクター

神職でありながら、コンサート企画会社の経営にも携わる。そんな異色の経歴を持つ人物と話す機会を得た。静かなその語り口の奥には、現代社会における「心の在り方」への深い洞察と、人々をポジティブな世界へ誘おうとする熱い思いが秘められていた。彼のユニークなキャリアの根底にある哲学とは何なのか。
山と自然
そして「かんながらの道」へ
「大学時代はワンダーフォーゲル部で、北アルプスなどバリバリ山に登っていました。白馬岳や穂高連峰あたりですね」
そう語る栗原さんの原点の一つは、大学時代に没頭した登山にある。しかし、最初から登山に興味があったわけではない。「なんとなく日本を旅したいという思いで入部したのですが、そこから登山の魅力に目覚めました」。夏合宿では30㎏もの重いザックを背負い、槍ヶ岳などを縦走する日々。学生ゆえに装備も十分ではなく、重たいテントを担いで登ることもあったという。「学生だからこそできた経験ですね」と当時を懐かしむ。山での経験は、彼に自然への畏敬の念と、そのエネルギーを肌で感じさせた。同時に、ヒヤリとする体験も経験している。
「人生で『死んだかもしれない』と思った瞬間が3回あるのですが、そのうち2回は山での出来事です。一度は北アルプスで足を滑らせて滑落しかけた時。ひっくり返って『もう駄目だ』と思った瞬間、背負っていたザックが岩と岩の間に挟まって九死に一生を得ました。もう一度は、佐賀県の井原山でのこと。下山中に雨で足元が滑りやすくなり、崖から落ちてしまったんです。掴むところもなく、下に流れる川を見ながら『もう死んだ』と思いましたが、偶然にも腕に鎖が引っかかり、助かりました」
こうした厳しい自然との対峙は、彼の人生観に大きな影響を与えた。大学4年生になり、就職活動を目前にした時、彼は自身の進路に深く悩む。西南学院大学法学部に在籍し、周囲と同じように一般企業への就職を考えていたが、本当にそれが自分のやりたいことなのか疑問が湧いてきた。「自分が本当に大事にしているものは何か」。そう自問自答した時、心に浮かんだのは4年間親しんだ「自然」と「神道」だった。
「山に登っていると、必ずと言っていいほど神社があることに気づいたんです。麓にも山頂にも、そこには必ず信仰の対象がありました。その時、これまでバラバラだったものが自分の中で一つに繋がったんです」
彼の父親は、当時、福岡県内の神社に仕える神職。幼い頃から神社の存在は当たり前だったが、それが自身の生き方と結びつくことはなかった。しかし、山を通じて自然の持つポジティブなエネルギーに魅了されたことで、父の背中と自然、そして神道が一つの線で結ばれた。
「神社っていいな、と心から思った瞬間でした。そして、『あれ、自分の父親は神職じゃないか』と、改めて気づかされたんです」
この気づきが、彼を神職の道へと導く決定的なきっかけとなった。
ネガティブからポジティブへの転換
神職という道を見出すまで、彼の内面は常に揺れ動いていた。
「実は中高時代、僕はものすごくネガティブな人間でした。不安症で、失敗を引きずり、何事にも冷めている。友達に『もっと楽しんだ方がいい』と心配されるほどでした。どうせ人間は死ぬのだからとどこか諦めているような感覚で、ポジティブな感情を抱くことがほとんどなかったんです」
そんな彼に転機が訪れたのは、高校3年生の時。「このままの自分でいいのか。中高の6年間、非常にもったいない過ごし方をしたのではないか」と強く感じた。そして、大学生活では絶対にポジティブになろうと決意する。
「それまでの自分と真逆のことをしようと思いました。自分の欠点や課題ばかり見るのではなく、好きなこと、得意なことに目を向けようと。そこで大学に入ってすぐに『やりたいことリスト』を書き出したんです。登山、日本各地の自転車旅、そして大好きだったハリー・ポッターの聖地イギリスへ行くこと。それらを一つひとつ実行していくうちに、人生が本当に楽しくなりました」
好きなことに打ち込み、達成感を得ることで、彼の心は自然と前向きになっていった。ネガティブな出来事があっても、以前のように深く落ち込むことはなくなった。「この経験から、『ネガティブをポジティブに』という言葉が僕の座右の銘になりました」。この哲学が、後の彼の生き方を大きく左右することになる。