自然と一体の魂─自然栽培への道 自由を追い求めてたどり着いた境地


2024年7月号 人・紀行 ─ 棈松(あべまつ)浩三さん(70歳)

文明が発達して人の暮らしは楽になった…果たしてそうだろうか? 物質を追求するが故に人間本来の「何か」を置き忘れ、或いは失くしてしまったのではないだろうか。失ってしまった人間本来の何かとは、端的に言えば、見えないものを全く信じなくなってしまい、それを感じる、感応力そのもののことだ。

この世ならざるもの

分からないことがあったら、スマホで検索すればすぐに調べられる。買い物もネット、ナビゲーションで目的地に確実に着く。確かに便利な時代になった。その代わりに我々が失ってしまった能力は意外に多い。例えば、かつて書けていた簡単な漢字が書けなくなった。地図を頼りに目的地に行くことができない。電話番号など数字を記憶できない…と愕然としたことがある読者も多いのではないだろうか。文明が発達して、人の代わりに機械が作業、コンピューターが知能の肩代わりしてくれて、楽になり、便利な社会になった。しかし、その一方で文明の利器に依存し過ぎて人間本来が持つ能力が削がれてきた。

AI時代の到来は、さらに人間の能力をさらに削ぐことになるだろう。

チャットGPTで文書や記事ができる時代ではもはや人間は自分の頭で考える必要もなくなる。つまり、人間の思考能力が著しく損なわれる時代が目の前に迫っているとも言えよう。「人間不在」の時代と言ってもいいかもしれない。

ことほど左様に、産業革命から現代にかけて人間は自身が持つ能力を自ら捨て去ってきた。人類が失ったのは運動能力、読み書き、思考力だけではない。それは第六感だ。

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力である第六感は、インスピレーション、勘、直感、霊感とも言われ、地球上の生き物で長く人類だけが持っていた能力。それが働いて危機を回避してきた。しかし、文明が発達するにつれて、「この世ならざるもの」、霊的な存在を、論理を最優先する文明社会は非科学的として決して認めない。人間本来の能力には霊的なものを感じ取る能力が備わっていたはずだ。それが形になったのが宗教だと言えるだろう。或いは目に見えないものを信じる信仰心も然りだ。ただし、怪しい宗教を除いて。

「この世ならざるもの」―人類を救うのはAIなどの先端技術ではなく、「この世ならざるもの」を認識する能力を取り戻すことではないだろうか。
この稿の主人公、棈松さんはその人間が持つ本能に長い軌跡を辿って覚醒した人生だと言えそうだ。

自由への漂流

棈松さんのルーツは鹿児島でこの姓は全国で1千名足らずしかない珍名。ちなみに棈とは、ブナ科コナラ属の落葉高木「アベマキ」のこと。昭和28年(1953)、熊本県水俣市に三人兄弟の末っ子として生まれる。父親はチッソに勤務していた。末っ子ゆえにお母さん子だったという。小さい頃から誰よりも早く登校するなど生一本な性格だった。小学2年生で父の転勤で千葉県市原市へ。中高と卓球部で活動、インターハイを目指していたが県大会で3位に終わって出場できなかった。東京電機大学機械工学部に入学するが、アメリカに渡ろうと資金稼ぎのために休学して横浜でアルバイトを始めた。元々、映画好きで特にアメリカ映画でアメリカに憧れていたことと、小田実の『何でも見てやろう』などの影響でバックパッカーが流行り始めていた時代った。

一年後、親から「大学を卒業してでも遅くはない」と説得されて、いったん復学するが、一年のギャップは大きく勉強についていけないので中退する。学ぶものもない、海外にも行けない―行き場のない若いエネルギーを向けるはけ口が見つからない。貯めた150万円のアルバイト代を横浜のキャバレー通いでほぼ使い果たす。残ったお金で旅行関係の専門学校に半年通って、旅行会社に就職する。

3年後、会社を辞めてアメリカに渡った。最初はルイジアナ州の州都・バトンルージュで州立大学付属英語学校に入る。お金が尽きたのでロサンゼルスに流れた。日本食の皿洗いのアルバイトに就いた。お金が貯まると、ラスベガスにカジノに出かけた。

「博打好きは家系かもしれません。今振り返ると、当時の私は求めていたものが見つからないまま惰性で生きていました。精神のバランスを少し崩すと、刺激的なものを求めてしまう。それがカジノだったんでしょうね」

5回通ったが勝てずにその度にバスで6時間かけてロスに帰った。

「隣に座った人は私の10倍以上のお金を賭けているんですが、やっていることは同じで、その時に人生は似たようなものだと思いましたね。どんなに有名になろうが、お金持ちになろうが、問題はその人の心の持ち様、質の問題だということを学びました」

「小さい頃から自由になりたいという思い」が強かった。他人に訊けば、お金、地位だと言うがしっくり来ない。「自分が宙に浮いて上に行こうとするけど何かに妨害されて行けないという同じ夢を小さい頃に何度も見ました」。夢は潜在意識の表れとも言われる。末っ子の棈松さんを溺愛する母からの解放への渇望感もあったかもしれない。

ビザが切れる前にメキシコを訪れてその後帰国する。帰国すると、日本人の忙しそうに動く生活態度や対面で目を合わせない習慣に違和感を覚えた。時計販売会社で3年間働いた後、以前の勤務先の紹介で台湾専門のインバウンド会社で台湾資本の会社に入社する。同時に福岡に空席があったので、初めて福岡に来ることになった。30歳前の頃だった。福岡でも相変わらずギャンブルをやる日々。こう見てくると、棈松さんは自由人に近い道を歩んでいるように映るが、「目標が定まらない生活でしたね。自由を探すが、見つからないからフワフワした感じで生きていました」。


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